社説 被爆80年 資料の保存・継承 守り生かすネットワークを
25年7月27日
被爆80年を迎え、広島と長崎で惨禍を目の当たりにした人たちから直接、話を聞くのはさらに難しくなろう。
被爆地から立ち上がった人たちが何を語り継いだか。核廃絶や被爆者援護の運動にどう携わったのか。戦後の歩みを物語る資料もまた、散逸の危機にあると言っていい。
先日、広島市立大広島平和研究所などが広島で開いた国際シンポジウム「未来への記憶の遺産」もその課題を問いかけた。被爆の記憶を継承するだけでなく、被爆者たちの生き方や運動の足跡を伝える資料群を守り、生かす。その営みの意義は被爆国の戦後史を考える上でも大きい。
昨年12月のノーベル平和賞受賞演説の中で、日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員は世界に核廃絶を訴えながら東京のNPO法人の名を挙げて、活動の広がりに期待を表明した。2011年に発足した「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」である。
国際社会からも高く評価された日本被団協の運動史を軸に資料保存と整理に当たる。例えば原爆被害の国家補償を拒む政府に対し、1万3千人の被爆者の証言から被害の実態を突きつけた被爆40年の調査の記録なども含む。
この会は運動史の記録のほか体験記なども集約した「記憶遺産」の継承センター設置をかねて目指している。ただ活動資金をはじめ、資料の保管や一般公開の場所、デジタルアーカイブ化を含めて未整理の資料を読み解くマンパワーの確保など、幾つもの課題を抱えているという。
これまで以上に支援できないものか。被団協についても参加する各地の被爆者団体の所蔵資料まで、くまなく網羅しているわけではない。北海道など高齢化に伴い、既に解散した団体も出ている。
むろん広島と長崎でも原爆資料館や大学などの機関で、戦後の資料も一定に収集している。テーマとして目を向ける研究者も少なくない。しかし資料をどう活用するかは、対応がばらばらだ。どんな資料が存在し、どんな状況にあるのかを全て把握しているところは、恐らくないだろう。さらにいえば長崎は広島に比べれば民間の資料保存の活動が遅れてきたとも聞いた。
難しいのは守るべき資料の定義が必ずしもはっきりしないことだ。とりわけ被爆者個人が手元に置く活動記録などは仮に本人が亡くなれば埋もれがちとなる。また原爆投下への国の責任を問い、被爆者の援護を求めてきた裁判記録のアーカイブ化も意外と進んでいないように思える。
本来なら国の責任で行ってもおかしくない。いま岐路に立つ日本学術会議は1971年、政府に勧告書を出している。原水爆被災についての学術的資料を収集し、整理して活用する「原水爆被災資料センター(仮称)」を東京と広島、長崎に設置せよ、と。
国が関心を示さないなら、両被爆地と核廃絶を願う人たちの手で、前に進めるしかない。今からでも関係機関と団体のネットワーク化を図り、まずは情報交換を深めて継承と発信の強化を考えたい。
(2025年7月27日朝刊掲載)
被爆地から立ち上がった人たちが何を語り継いだか。核廃絶や被爆者援護の運動にどう携わったのか。戦後の歩みを物語る資料もまた、散逸の危機にあると言っていい。
先日、広島市立大広島平和研究所などが広島で開いた国際シンポジウム「未来への記憶の遺産」もその課題を問いかけた。被爆の記憶を継承するだけでなく、被爆者たちの生き方や運動の足跡を伝える資料群を守り、生かす。その営みの意義は被爆国の戦後史を考える上でも大きい。
昨年12月のノーベル平和賞受賞演説の中で、日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員は世界に核廃絶を訴えながら東京のNPO法人の名を挙げて、活動の広がりに期待を表明した。2011年に発足した「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」である。
国際社会からも高く評価された日本被団協の運動史を軸に資料保存と整理に当たる。例えば原爆被害の国家補償を拒む政府に対し、1万3千人の被爆者の証言から被害の実態を突きつけた被爆40年の調査の記録なども含む。
この会は運動史の記録のほか体験記なども集約した「記憶遺産」の継承センター設置をかねて目指している。ただ活動資金をはじめ、資料の保管や一般公開の場所、デジタルアーカイブ化を含めて未整理の資料を読み解くマンパワーの確保など、幾つもの課題を抱えているという。
これまで以上に支援できないものか。被団協についても参加する各地の被爆者団体の所蔵資料まで、くまなく網羅しているわけではない。北海道など高齢化に伴い、既に解散した団体も出ている。
むろん広島と長崎でも原爆資料館や大学などの機関で、戦後の資料も一定に収集している。テーマとして目を向ける研究者も少なくない。しかし資料をどう活用するかは、対応がばらばらだ。どんな資料が存在し、どんな状況にあるのかを全て把握しているところは、恐らくないだろう。さらにいえば長崎は広島に比べれば民間の資料保存の活動が遅れてきたとも聞いた。
難しいのは守るべき資料の定義が必ずしもはっきりしないことだ。とりわけ被爆者個人が手元に置く活動記録などは仮に本人が亡くなれば埋もれがちとなる。また原爆投下への国の責任を問い、被爆者の援護を求めてきた裁判記録のアーカイブ化も意外と進んでいないように思える。
本来なら国の責任で行ってもおかしくない。いま岐路に立つ日本学術会議は1971年、政府に勧告書を出している。原水爆被災についての学術的資料を収集し、整理して活用する「原水爆被災資料センター(仮称)」を東京と広島、長崎に設置せよ、と。
国が関心を示さないなら、両被爆地と核廃絶を願う人たちの手で、前に進めるしかない。今からでも関係機関と団体のネットワーク化を図り、まずは情報交換を深めて継承と発信の強化を考えたい。
(2025年7月27日朝刊掲載)