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[戦後80年 島根] 死を覚悟した日々 詳細に 益田の伊藤さん 「予科練の櫻」出版

「若い人に体験させたくない」

 終戦時に海軍飛行予科練習生として防府市の防府海軍通信学校にいた益田市あけぼの本町の伊藤義照さん(94)が、戦後80年に合わせて回想録「予科練の櫻(さくら)」を自費出版した。過酷な訓練や死を覚悟する緊迫した日々をたどり「若い人たちに体験させたくない記憶。戦争のない社会を築くことが大切だ」と訴える。(永井友浩)

 伊藤さんは、益田市の白岩国民学校(当時)から志願し、2度の試験を経て1945年1月、14歳で防府海軍通信学校に入校した。同期は全国から集まった約800人。木銃を持って毎朝2キロの走り込みや実弾射撃、海でのカッターこぎなど過酷な訓練に耐えた。「想像もしなかった恐怖の世界だった」と振り返る。

 1等飛行兵への進級後は電気工学にモールス信号、数学、英語など座学の日々で、毎週試験が課せられた。同年4月には、学校沖の三田尻湾に戦艦大和が停泊。同期たちが手を振って見送った翌日、鹿児島県沖で大和は撃沈された。「1キロ先でも分かる巨大な戦艦。それが沈むのだから戦争に勝てるわけがないと思った」と明かす。

 戦況は悪化の一途をたどり、同期の約200人は特攻兵器「回天」の訓練基地へ。通信学校周辺で米軍グラマンの機銃掃射を浴びたこともあった。8月15日、全員が練兵場に集まり、玉音放送を聞いた。雑音がひどくて内容が分からなかったが、後で教官から「日本は負けた」と説明を受けたという。

 回想録はA5判、134ページ。当時の様子や胸の内を詳しく記す。防府の学校から持ち帰った日の丸の旗の寄せ書きや千人針の写真なども掲載。資料集めに訪れた戦争史跡や、自身の体験を基にした演劇を上演した地元の吉田小の児童との交流なども紹介している。

 伊藤さんは「世界各地で戦争が起きているが、何も利益をもたらさないと後世に伝えたい」。回想録は1冊千円で販売する。伊藤さん☎0856(22)8188。

(2025年7月27日朝刊掲載)

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