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社説・コラム

社説 被爆80年 核廃絶遠のく世界 きのこ雲の下の現実を見よ

 米軍による広島、長崎への原爆投下から間もなく80年の節目を迎える。被爆地が訴え続けてきた「核兵器のない世界」は、遠のいたようにさえ見える。人類は一体、何を学んできたのだろうか。

人類自滅の危機

 被爆の惨状を身をもって知る被爆者や市民は、核兵器廃絶への努力を重ねてきた。昨年は日本被団協のノーベル平和賞に沸いたが、喜んでいる時期はとうに過ぎた。核を巡る国際情勢は深刻さを増しているからだ。人類を自滅させかねない核戦争のリスクが、かつてなく高まってきた。

 要因は明らかだ。核保有国の指導者の身勝手な考えと横暴な振る舞いが、人類を危機に陥れている。ウクライナに侵攻し、核兵器をちらつかせた脅しを繰り返す核超大国ロシアしかり、中東で戦火を広げている事実上の核保有国イスラエルしかり、だ。南アジアでは、インドとパキスタンの両保有国が戦火を交えた。

 国連安全保障理事会の常任理事国でもあるロシアは、2度の世界大戦を経て欧州が積み上げてきた対話による平和の土台を崩しつつある。あおりで、核兵器を持てば自国の安全が保てるという「核抑止論」が幅を利かせる。幻想にすがっても、危機から抜け出せるはずはない。

 もう一つの核超大国の米国も心もとない。ロシアをはじめ各国の横暴を戒めていたのに、今年復権したトランプ政権が態度を一変させた。「力による平和」を掲げ、国際協調に背を向けている。

 それどころか、イスラエルに続いて、イランの核関連施設の攻撃に踏み切った。核兵器開発を阻止するという大義名分を掲げたものの、自分たちの核兵器を棚に上げたのでは独善的過ぎる。

 誰が落としたとしても、核兵器が人類にもたらすものは変わらない。尊厳をも奪う死や、生き延びても生涯付きまとう放射線の恐怖といった非人道的な結末だけだ。

 弱肉強食の時代に逆戻りしたような世界で、核兵器廃絶はおろか、核軍縮すら片隅に追いやられている。長崎大核兵器廃絶研究センターによると、世界の核弾頭数は今年、微減傾向から増加に転じた。

はびこる抑止論

 気になるのは、核抑止論が国内でもはびこりつつあることだ。先の参院選でも核武装や核共有の主張を耳にした。被爆の惨状が自分ごととして、十分に理解されていない表れではないか。

 核抑止論の広がりは、どこに行き着くのか。もしも、自国の安全のために核兵器を持つ国が増えれば、核が使われたり暴発したりするリスクが高まり、ひいては核戦争のリスクをも高めてしまう。

 そもそも、核抑止論は「神話」に過ぎない。核保有国の指導者が、客観的な状況を冷静に判断できねば、成り立たない。身勝手な判断の目立つ今の指導者に、人類の明日を委ねるのはあまりに危うい。

 「他の誰にも同じ思いをさせたくない」。原爆の生き地獄を味わった被爆者が、原爆を落とした米国への恨みを乗り越えて到達した境地だ。

 核戦争が起きれば、人類は自滅しかねない。防ぐには、核兵器をなくすしかない。国際情勢が悪化する今、被爆地の使命は重みを増している。

発信し続けよう

 2021年には、被爆地の訴えを形にした核兵器禁止条約が発効した。きのこ雲の下の人間の視点から、核兵器を全面的に禁じるこの条約に、94カ国・地域が署名、73カ国・地域が批准した。それでもなお、そっぽを向く保有国との溝は埋まらない。

 身勝手な核保有国の指導者から、人類の未来を取り戻さなければならない。核抑止論がいかに虚妄で危ういものか。原爆が広島と長崎に何をもたらしたのか。声を大にして世界に発信し続けよう。人類が生き延びるために。

(2025年7月26日朝刊掲載)

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