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緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎③

 広島に原子爆弾が投下される一年前、長崎造船所で働いていた祖父が「広島造船所」に転勤になったのはまちがいないだろう。だが、それから一年後、祖父が広島で被爆して、急いで長崎に帰り、そこで再び被爆したかどうかはわからない。

 古い紙類の中にはもう一枚「旅行証明書」があり、これは昭和20年9月22日のスタンプが押されている。旅行区間は「己斐駅」から「有家駅」で、理由は「帰省」。島原半島の西有家町の親類の家には妻と娘が身を寄せていたらしいことがわかった。

 祖父の証明書の住所は「広島市南観音町昭和新開三菱観音南寮」。勤務先は江波町の「広島造船所」と記されている。

 職名はインクがにじんで読みにくいが、どうやら「第二艤装(ぎそう)」と読め、工員、48歳とも記されている。

 昭和19年8月に広島造船所に転勤となった祖父が、翌年9月にもそこに所属していたのはまちがいないのだろう。ただ8月の広島の原爆の時に祖父がどこにいたのかわからない。仮に広島で被爆したとしても、8月9日11時2分までに長崎に帰り、再び被爆するなどあっただろうか。あるいはそれ以降の入市被爆の可能性も考えられるが、これもわからない。

 ただ、祖父が一枚の旅行証明書を携え、広島と長崎を行き来したのはまちがいないはずだ。証明書の裏に「門司」と書かれ、時刻らしい数値のメモがあった。  (作家=長崎市)

(2025年7月26日朝刊掲載)

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