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被爆80年託す想い 「おなかの中にいた」 娘に語らなかった母

 東京在住のジャズシンガー梅澤妙子さん(79)は高校生の時、看護師だった母を亡くした。闘病生活は凄絶(せいぜつ)だった。急性骨髄性白血病。1日置きに輸血を受けねばならない。何度となく針を刺された腕は、見るからに痛々しかった。薬の副作用のせいだろう。きれいな人だったのに顔がむくみ、一気に老け込んだ。

 それでも母は気丈だった。娘の自分には一度も「つらい」と言わなかった。若い看護師が針を刺す場所を見つけられずにいると、「私がやるから大丈夫よ」と自ら手の甲に刺し込んだ。そんな母を支えたくて、時には病室に泊まり込んだ。

 母が白血病になって、初めて知った。「母が被爆した時、私もおなかの中にいたんです」。1945年8月、母は被爆直後の広島市に通っていた。結局、詳しいことを何も聞けないまま、入院から10カ月後の62年9月に母を見送った。つくづく思い知らされた。原爆の恐ろしさと、その残虐性を。(編集委員・田中美千子)

(2025年8月1日朝刊掲載)

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