社説 被爆80年 記憶を受け継ぐ 掘り起こしと発信 多様に
25年8月1日
被爆地広島にとって核被害の実情を後世に伝えていくことは、人類が過ちを繰り返さないための大きな課題である。歳月とともに被爆者が少なくなる中、私たちに何ができるのか。節目の年に改めて考えたい。
世界は今、核兵器廃絶を求める被爆者たちの願いとは程遠い状況にある。戦火は絶えず、核保有国は軍縮どころか核使用のどう喝さえしている。核を巡る世界情勢は危機的である。
それにあらがうため説得力を持つのが「原点」ともいえる被爆体験だ。戦争も核兵器も絶対否定する被爆者の声は、ますます重みを持つ。
最も若い胎内被爆者が80歳を迎えようとする今、被爆者なき後への不安をよく耳にするようになった。だが今だからこそ、できることがあるのではないか。
時を経て初めて体験を語る被爆者も少なくないからだ。誰かの求めに応じて語り出す人や、緊迫する世界情勢への危機感から孫世代に証言する人もいる。まだまだ耳を傾け記録しておくべき声がある。
さらに証言を聞くだけが継承ではないことも、胸に刻むべきだろう。広島市の原爆資料館では、被爆体験証言者の体験を語り継ぐ伝承者たちが活動を続けている。館内などを案内するヒロシマピースボランティアの活動は四半世紀を超えた。
実体験のない世代が、被爆者のように体験を語り継ぐことは難しい。それだけにあらゆるチャンネルでの多様な取り組みが必要だ。
一つの例として、被爆者の体験や思いを絵で表現する基町高(広島市中区)の取り組みは参考になる。2007年から続ける活動で、生徒たちは被爆者から体験を聞き、対話を重ねながら絵を描いていく。手を動かしながら、原爆で日常を奪われた理不尽さや悲しみを追体験するという。表現を通して被爆者の記憶に近づき、わがことにしていく取り組みといえよう。
絵は市内だけでなく、今夏は川崎市の岡本太郎美術館などでも展示されている。同高の活動はノンフィクションや演劇、児童文学などさまざまな形で表現され、紹介されている。こうした表現物を通して受け手が被爆者の記憶を追体験することもまた、継承の一手段ではないか。
今だからすべき取り組みは実は少なくない。例えば本人にとっては取るに足らない古い写真やメモでも、次世代にとっては貴重な資料が遺品から出てくることもある。埋もれていた被爆手記などが発見されることもある。
80年の歳月の中で忘れられてきた記憶を掘り起こし、発信する作業も必要だ。行政や被爆者団体、市民の草の根の活動などヒロシマに関する多様な営みや歩みを、現代の私たちが学んでいくこともまた立派な継承だろう。
被爆の実情を肌感覚で語れる人がいなくなるのは、致し方ないのかもしれない。しかし諦めてはならない。一人一人が記憶を受け継ぐ当事者となり、あらゆる手段で行動していく必要がある。
(2025年8月1日朝刊掲載)
世界は今、核兵器廃絶を求める被爆者たちの願いとは程遠い状況にある。戦火は絶えず、核保有国は軍縮どころか核使用のどう喝さえしている。核を巡る世界情勢は危機的である。
それにあらがうため説得力を持つのが「原点」ともいえる被爆体験だ。戦争も核兵器も絶対否定する被爆者の声は、ますます重みを持つ。
最も若い胎内被爆者が80歳を迎えようとする今、被爆者なき後への不安をよく耳にするようになった。だが今だからこそ、できることがあるのではないか。
時を経て初めて体験を語る被爆者も少なくないからだ。誰かの求めに応じて語り出す人や、緊迫する世界情勢への危機感から孫世代に証言する人もいる。まだまだ耳を傾け記録しておくべき声がある。
さらに証言を聞くだけが継承ではないことも、胸に刻むべきだろう。広島市の原爆資料館では、被爆体験証言者の体験を語り継ぐ伝承者たちが活動を続けている。館内などを案内するヒロシマピースボランティアの活動は四半世紀を超えた。
実体験のない世代が、被爆者のように体験を語り継ぐことは難しい。それだけにあらゆるチャンネルでの多様な取り組みが必要だ。
一つの例として、被爆者の体験や思いを絵で表現する基町高(広島市中区)の取り組みは参考になる。2007年から続ける活動で、生徒たちは被爆者から体験を聞き、対話を重ねながら絵を描いていく。手を動かしながら、原爆で日常を奪われた理不尽さや悲しみを追体験するという。表現を通して被爆者の記憶に近づき、わがことにしていく取り組みといえよう。
絵は市内だけでなく、今夏は川崎市の岡本太郎美術館などでも展示されている。同高の活動はノンフィクションや演劇、児童文学などさまざまな形で表現され、紹介されている。こうした表現物を通して受け手が被爆者の記憶を追体験することもまた、継承の一手段ではないか。
今だからすべき取り組みは実は少なくない。例えば本人にとっては取るに足らない古い写真やメモでも、次世代にとっては貴重な資料が遺品から出てくることもある。埋もれていた被爆手記などが発見されることもある。
80年の歳月の中で忘れられてきた記憶を掘り起こし、発信する作業も必要だ。行政や被爆者団体、市民の草の根の活動などヒロシマに関する多様な営みや歩みを、現代の私たちが学んでいくこともまた立派な継承だろう。
被爆の実情を肌感覚で語れる人がいなくなるのは、致し方ないのかもしれない。しかし諦めてはならない。一人一人が記憶を受け継ぐ当事者となり、あらゆる手段で行動していく必要がある。
(2025年8月1日朝刊掲載)