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連載・特集

緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎⑥

 白髪を短く刈った祖父は目鼻立ちがくっきりして、若い頃は美男だったかもしれない。

 祖父の難聴が仕事が原因だったのは、今回、実家を整理してでてきた古い書類で確認できた。長崎造船所の「難聴に対する障害補償費」が認められたという通知がでてきたのだ。昭和28年、祖父が56歳の時の書類だ。

 時々、祖父はイヤホンをつけてラジオを聞いたが、音漏れをよく注意されていた。ひとりの時、テレビを大音量で見ていて家の者が帰ってくるとあわててテレビを消したりした。キャラメルを恥ずかしそうにくれたりもしたが、耳が遠いと会話がなりたちにくく、いっしょに住んでいた母方の祖母とよくおしゃべりをしても、祖父とはほとんど話はしていない。

 穏やかで優しいひとで、息子夫婦の家にいても遠慮がちにうなだれ、きらきらとした大きな目はいつも潤んでいるように澄んでいた。

 一方、父方の祖母は性格が険しいひとだったらしい。父と母の結婚には強く反対し、また、叔母は十代半ば、言うことを聞かないといって裸にされて、井戸のかたわらで冷たい水を頭からかけられたともいう。義理の姉である母が必死にかばった話は母から何度も聞いた。

 祖母の怒りはいったいなんだったのだろう。広島と長崎で二度被爆したという祖父に「みっともなか」と言ったのもどこか怒りがひそんでいるような気がする。そんな祖母があの穏やかな祖父と夫婦だったのはふしぎにも思える。(作家=長崎市)

(2025年8月1日朝刊掲載)

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