[被爆80年] 90歳被爆者 決意の初証言 廿日市の宮田さん 地元児童らに 伝えたい思い 年々強く
25年8月1日
終戦直後に広島に入り、入市被爆した宮田英子さん(90)が31日、入所する廿日市市原の特別養護老人ホーム清鈴園で自身の体験を伝えた。これまでほとんど人前で話してこなかったつらい記憶。被爆80年を機に「生きているうちに伝えなければ」と、地元の小学生や入所者たち約100人に語った。(菊本孟)
平塚町(現広島市中区)から疎開していた岩国市で原爆投下の日を迎えた宮田さん。突然、空が光り「目がぐるぐる回ったような感覚」に。爆音がとどろいた後、大きなきのこ雲が上がるのを見たという。「家が縦横に10センチくらい揺れた。もう恐ろしくて恐ろしくて…」と振り返る。
家族と広島の自宅を見に行ったのは18日。「不思議と物音一つせず、耳がツーンとするように静かだった」。ただ、焼け焦げた強い臭いは今も記憶に残る。その後、髪の毛が抜け落ち、歯茎から出血が続くようになった。放射能の影響とみられるが当時は薬もなく、原因も分からない不安の日々を過ごした。
「思い出しても楽しい話じゃないから」と、自身の体験をほとんど語らずにきた。一方で「次世代に戦争の恐ろしさを知ってもらいたい」との思いも年々強まっていたという。今年1月、同園に入所。地元の子どもたちを招く集会での証言を持ちかけられ、引き受けた。
約30分の証言後、地元の原小の児童と言葉を交わした宮田さん。「原爆を落とした米国を憎んじゃいけん。戦争は絶対にやってはいけない。世界の平和を目指して頑張って」と思いを託した。同小6年村上穂空(ほだか)さん(11)は「家族や大切な人を失ってしまう戦争がなくなるように行動したい」と誓っていた。
(2025年8月1日朝刊掲載)
平塚町(現広島市中区)から疎開していた岩国市で原爆投下の日を迎えた宮田さん。突然、空が光り「目がぐるぐる回ったような感覚」に。爆音がとどろいた後、大きなきのこ雲が上がるのを見たという。「家が縦横に10センチくらい揺れた。もう恐ろしくて恐ろしくて…」と振り返る。
家族と広島の自宅を見に行ったのは18日。「不思議と物音一つせず、耳がツーンとするように静かだった」。ただ、焼け焦げた強い臭いは今も記憶に残る。その後、髪の毛が抜け落ち、歯茎から出血が続くようになった。放射能の影響とみられるが当時は薬もなく、原因も分からない不安の日々を過ごした。
「思い出しても楽しい話じゃないから」と、自身の体験をほとんど語らずにきた。一方で「次世代に戦争の恐ろしさを知ってもらいたい」との思いも年々強まっていたという。今年1月、同園に入所。地元の子どもたちを招く集会での証言を持ちかけられ、引き受けた。
約30分の証言後、地元の原小の児童と言葉を交わした宮田さん。「原爆を落とした米国を憎んじゃいけん。戦争は絶対にやってはいけない。世界の平和を目指して頑張って」と思いを託した。同小6年村上穂空(ほだか)さん(11)は「家族や大切な人を失ってしまう戦争がなくなるように行動したい」と誓っていた。
(2025年8月1日朝刊掲載)