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国際シンポ「未来への記憶の遺産」詳報 パネル討論 解散団体の資料 保存へ地域で協力 被爆前の日常の記録 収集の対象に

 広島市立大広島平和研究所(平和研)と中国新聞社、長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)が7月19日に広島市中区で開いた国際シンポジウム「未来への記憶の遺産―原爆資料をどう継承するか」は、平和研の四條知恵准教授が司会を務め、登壇者4人がパネル討論した。NPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」(東京)の栗原淑江さん、原爆資料館(広島市中区)の落葉裕信学芸係長、中国新聞社の水川恭輔編集委員、RECNAの山口響特定准教授・客員研究員が意見を交わした。

 四條 解散した被爆者団体の資料はどうなってしまうのか気になる。

 栗原 北海道と奈良県でそれぞれユニークな取り組みがある。3月に解散した北海道では被爆2世や3世、支援者が一緒に後継団体をつくった。資料の保存や講話ができる「北海道ノーモア・ヒバクシャ会館」も平和教育に熱心な学校法人が引き受けてくれた。

 奈良県では解散した被爆者の会が発行した証言集を、住民が一部復刻して県内の小中学校に配った。それに協力した生協は元店舗に平和ライブラリーをつくり、資料の保存・展示にもつなげた。他県にも協力団体を足掛かりにして継承できないか、呼びかけている。

 四條 資料を収集、保存、整理、発信する原爆資料館の課題は。

 落葉 今でもなお被爆者や関係者から資料の寄贈が増え続けている。一方で収蔵庫のスペースは限りがあり、いっぱいになってきている。収集対象も被爆直後の被害を伝える資料や写真だけでなく、原爆で失われた被爆前の人々の日常や街並みを示す資料にも広がり、そういった意味でも増えている。

 寄贈を受ける時に聞き取りをするが、(本人が亡くなって)世代が変わり、難しくなりつつある。われわれも過去から積み上げた貴重な資料を参考にして整理し、新たな資料も今の資料と関連づけて整理していく。

 四條 長崎の被爆者団体の資料の保存状況は。

 山口 (シンポ前半で報告した)長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の他に3団体ある。長崎県被爆者手帳友の会は事務所の移転などで残存状況はあまり良くなく、長崎原爆遺族会には私たちがまだアプローチできていない。県平和運動センター被爆者連絡協議会は平和運動系の組織なので、ある程度は残っているだろうと予想する。

 朝鮮半島出身の被爆者は現在組織がなく、もともと長崎に残った人も少なかったため資料があまり残っていない。

 被爆者団体が年齢の問題などで閉じていく動きもあるが、新しい組織にリニューアルする時は、資料保存を一つの活動の核に据えられないか、考えている。

 四條 記者が被爆者や研究者に取材した資料も貴重と思うが、活用策は。

 水川 在外被爆者の運動に関する資料の中で、被爆者健康手帳の交付を認める歴史的な判決が出た韓国人被爆者の孫振斗(ソンジンドウ)さんの裁判に関する記録は、(元中国新聞記者で)元広島市長の平岡敬さんが広島大文書館に託した。孫さんが当時住んだエリアの証言を集めてメモにし、裁判資料も残した。

 被爆者が集会であいさつした時の原稿が手元にある。残さないといけない。例えば、活用がまちづくりの焦点となる広島市内の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」を原爆アーカイブのような形で利用し、個人資料を収めることができないか。

 ノーベル賞委員会のフリードネス委員長も、被爆証言が直接聞けなくなる時代を見据え、記憶のためのあらゆる装置を重視するべきだという趣旨の内容を演説した。受け止めていきたい。

 栗原 ノーベル平和賞の受賞以来、日本被団協の田中熙巳(てるみ)さんたちに多くの講演依頼が舞い込んでいる。田中さんは若い人に向かって話す時に「私たちは何をしたらいいですか」と聞かれると「それはあなたたちの問題でしょ」と投げかける。まさにそうで、被爆者から何か聞いて分かったようになるのは本当の継承ではない。

 被爆者から話を聞くのはもちろん、資料を読み込んで周りの人と学び合い、議論をすることで本当の自分の力になる。被爆80年は私たち自身が受け止め、被爆者頼みを払拭するチャンスにしていく時。強く訴え、皆さんに考えてもらいたい。

(2025年8月4日朝刊掲載)

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