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[被爆80年] 各地で催し 東広島で向き合う「平和」 孤児巡る対談や慰霊式

 被爆80年の原爆の日を前に、平和の尊さを考える催しが3日、東広島市内各地であった。市と市原爆被爆資料保存推進協議会などは、原爆や戦争の孤児を支え続けた広島新生学園(西条町田口)の歩みをたどる対談講演を開催。市民グループは、市原爆死没者慰霊式を営んだ。(石井雄一)

 市と同協議会は今月1~7日を「ピース・ウイーク」と位置づけ、市民文化センター(西条西本町)で企画展などの行事を展開。同センターのアザレアホールで3日に開いた対談講演では、広島新生学園の上栗哲男理事長・園長(76)が、学園の礎を築いた父頼登さん(1995年に76歳で死去)について語った。

 上栗さんは対談相手のNHKの出山知樹アナウンサーの問いかけに、広島市郊外の実家で被爆した父が、救護に向かう道中で見かけた乳児に水筒の水を飲ませて立ち去った出来事を紹介。「自分が生きていくとすれば、こういう孤児たちの面倒を見ることだと8月6日に決心した、と父は言っていた」と振り返った。

 頼登さんが45年10月、広島市宇品地区(現南区)に開いた「引揚孤児収容所」は、海外からの引き揚げ孤児も多く受け入れ、栄養失調で亡くなる子どもも多かった。東広島に移った学園の納骨堂には引き揚げ孤児10人分の骨つぼが残る。上栗さんは「10人がずっと見守ってくれている気がしている」と話した。

 市民グループ「次世代による東広島の戦争・原爆体験継承ネット」は、八本松南の八本松地域センターにある原爆死没者慰霊碑前で慰霊式を営んだ。地元の賀茂高の生徒や市民たち約40人が黙とうをささげた。生徒代表の2年上野翔伍さん(16)は「原爆で若い命も多く奪われた。平和は誰かがつくってくれるものではない。未来を担う若者として平和のための行動を続けていく」と誓った。

 式後は平和イベントを開いた。同高演劇部が、前身の賀茂高等女学校に在籍していた芥川賞作家大庭みな子が、被爆地での救護活動についてつづったエッセー「地獄の配膳」を朗読。参加者が被爆体験の継承のためにできることを語り合うワークショップもあった。

 2日は市民文化センターで、被爆証言を英語で聞く催しもあった。被爆体験伝承者の中川俊昭さん(74)が、地元ゆかりの被爆者の御堂義之さん(2024年に89歳で死去)の証言を伝えた。インドネシア出身の留学生マウラナ・レズキ・ラマンドゥさん(25)は「言葉を失うほどの悲しい気持ちになった。自分にできることは何かを考え続けたい」と話していた。

(2025年8月4日朝刊掲載)

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