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平和「言葉、文字、詞で発信」 被爆2世の吉川晃司さん 企画展「ヒロシマ1945」見学

 広島県府中町出身のミュージシャン吉川晃司さんが2日夕、東京都写真美術館で開催中の「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を見学し、中国新聞のインタビューに応じた。「核兵器が使われることが二度とあってはならない」と強調。表現者として、被爆2世として、「言葉にする。文字に書く。詞にする。自分にできる発信をしたい」と語った。

 吉川さんの父の実家は、広島市中心部の広島県産業奨励館(現原爆ドーム)と元安川を挟んで対岸にあった吉川旅館。現在の平和記念公園だ。被爆前に転居していたが、父は入市被爆。その体験を「歳を重ねるにつれ、ぽつりぽつりと話すようになった」。

 ただ、核問題を含め自らの考えを発信する大きな契機になったのは2011年の東日本大震災と福島第1原発事故という。「エンターテイナーなのに、こういった場面では黙るのか」。古里への恩返しに、東区出身の奥田民生さんとことし結成したユニット「Ooochie Koochie(オーチーコーチー)」のアルバムにも、「避けるべきでない」と1曲を入れた。

 自ら作詞し、奥田さんが作曲した「リトルボーイズ」。若い頃、原爆投下を告発する洋楽のヒット曲に合わせ、新天地(現中区)のディスコで意味も分からず踊っていた―。「無知」への悔いを率直に歌詞に記す。

 曲中にもある原爆投下機「エノラ・ゲイ」は、機長の母の名前でもある。「本当は怖くて、母親に守られたくて機体に名付けたんじゃないか。原爆を使った側の母親も、広島の動員学徒の母親も、子の無事を願っていた」と思う。

 今、世界で核兵器使用の危機が叫ばれる。「理想は地球から全て廃棄すること。戦争を決めるのは安全地帯にいる人で、戦場に行くのは庶民。せめて国民の総意を聞くべきではないか」と訴える。

 吉川さんは展示室を歩き、戦前の旅館と焼け野原をそれぞれ捉えたパノラマ写真や、惨禍の記録の数々に視線を向けた。「怖い、と途中でやめる子どももいるだろう。でも『今度はちゃんと見よう』と思えたらいい。世界中の人に、この企画展を見てほしい」(金崎由美、里田明美)

(2025年8月4日朝刊掲載)

「こういう場面では黙るのか、と自分に聞いた」 吉川晃司さん一問一答

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