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社説・コラム

天風録 『広島駅前の光景』

 原爆投下の瞬間、広島電鉄の路面電車を運転していた女性の体験を聞いたことがある。終点の広島駅で折り返し、的場町電停に向かおうとした時に閃光(せんこう)が走る。大事故かと思って外に出ると旅館や家が倒壊していたという▲10代の少女だった。働きながら学ぶ広島電鉄家政女学校の生徒。戦時下の人員不足で、本来の車掌から運転に回った一人だ。自らは助かるが傷ついた人々がさまよう駅前の光景を見る。驚き、不安はどれほどだったか▲社史によると広島駅一帯に6両がいた。被爆3日後に西寄りの己斐―西天満町間で路面電車の運行を再開したのは鉄道史に名高いが、広島駅まで市内線が復旧するのに2カ月余りかかった苦労はさほど知られていまい▲汗と希望が染みこんだ広島駅―的場町間が廃止され、きょう新設の駅前大橋線にルートが移る。路面電車とともに復興したご近所の人々は寂しくもあろうが、街中まで時間が縮まって利便性が高まることに期待したい▲JR広島駅の駅ビル2階から、高架で街へ。全国初の試みは遠来の人々を驚かせるはずだ。被爆80年の広島と路面電車の新しい風景はどう見えるだろう。今では広島電鉄の女性運転士は珍しくない。

(2025年8月3日朝刊掲載)

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