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[ヒロシマの空白] 供養塔の遺骨 伯母では 納骨名簿の「鍛治山ミチ子」誤記載の可能性 遺族、DNA型鑑定望む

 引き取り手のない遺骨として平和記念公園(広島市中区)の原爆供養塔の納骨名簿に載る「鍛治山ミチ子」について、13歳で被爆死した父の姉の梶山初枝さんではないかと考える遺族がいる。住所が一致し、名前が実妹と同じ読み方であるため、誤って記載された可能性があるとみる。遺骨と一緒に毛髪も納められており、遺族はDNA型鑑定の実施を望み、市も検討段階に入っている。(山本祐司)

 広島県府中町の会社員梶山修治さん(60)が5月、供養塔を管理する市調査課に照会した。台帳を調べた同課の回答によると、「鍛治山ミチ子」の死亡年齢は「16歳」、住所は「広島市皆実町3丁目」、死亡場所は「似島収容所」だった。

 米軍が原爆を投下した1945年8月6日、初枝さんは広島女子高等師範学校付属山中高等女学校(現広島大付属福山中高)の2年生だった。祖母ハルさんと皆実町3丁目(現南区)の親族宅に住み、市内の建物疎開作業に出て、被爆死した。

一家 旧満州に

 一家は45年3月、旧満州(中国東北部)へ渡った。しかし初枝さんは「勉強を続けたい」と懇願し、ハルさんと共に広島に残った。8月6日はハルさんも富士見町(現中区)へ出かけ、2人とも遺骨は不明だった。

 本紙の取材をきっかけに、ハルさんは納骨名簿に記された「鍛治山はる 皆実町3丁目」と特定され、市が2021年に遺骨を返還した。修治さんは喜んだ半面、名簿で隣にあった「鍛治山ミチ子」が気になった。初枝さんの2歳下の妹は「美智子」。何かの間違いで名前を取り違えたのではないか―。

 修治さんの妹、斎藤玲子さん(56)=佐伯区=も同じ思いだった。一家が旧満州へ渡る際に荷物を広島に残し、物資が乏しい戦時下で初枝さんが妹の名前が入った小物や衣類を身に着けていた可能性があると考えた。

 市の回答を受け、修治さんは「住所が一致し驚いた。初枝さんに呼ばれている気がする」と気をもむ。「名簿に最初から『皆実町3丁目』とあれば、ハルさんと一緒に調べてもらったのに」と不満も漏らした。初枝さんの妹は、大門美智子さん(91)=同=を含め3人が健在だ。修治さんは毛髪を使ったDNA型鑑定を市に求めた。

市「検討する」

 市調査課の上本慎治課長は、「鍛治山ミチ子」について他から問い合わせがなく「名前の書き間違いは否定できない」とする。市としてDNA型鑑定の前例はないが「姉妹がいれば理論上は可能。費用負担の課題もあるが検討する」との姿勢をみせる。住所の不記載については「漏れていた」と陳謝した。

 毛髪のDNA型鑑定の経験が豊富な神奈川歯科大の大平寛准教授は「焼いた骨の鑑定は不可能に近い。80年前の毛髪もかなり厳しいが、やってみないと分からない。お手伝いできるなら、鑑定を受けてもいい」と話す。

原爆供養塔の納骨名簿
 原爆供養塔に納められている約7万人分とされる遺骨のうち、名前が分かりながら遺族が見つかっていない人の名前を記載する。現在812人が載り、一部の人は年齢や住所、学校名なども記されている。広島市が毎年公表し、市の関連施設などに掲示するほか、全国の自治体や被爆者団体など約2千カ所に発送している。

(2025年8月3日朝刊掲載)

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