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『潮流』 あの日の竜巻

■論説委員 加納優

 縮景園(広島市中区)や周辺を歩くたび、頭をよぎるシーンがある。

 原爆で渦巻いた猛火に追われ、ある男性とその母が、知人に託された赤ん坊を抱いて園内に逃げ込む。ついには京橋川の土手へ。絶体絶命。その時だ。3人は突如竜巻に包まれ、宙を舞い、川の中へザブン。しばし水に漬かり火難を逃れた―。

 映画やアニメの話ではない。広島学院中高出身の医師、川越厚(こう)さん(78)=山梨県=が著書「ヒロシマ遡上(そじょう)の旅~父に捧(ささ)げるレクイエム」に父の実体験としてつづる。

 ただ、川越さんは長らく疑っていたらしい。人間を巻き上げるほどの竜巻が、本当に発生したのかと。真相を確かめる過程も「旅」の重要なテーマになっている。

 読み進める途中で記憶を刺激され、手に取った名著がある。80年前の広島地方気象台員たちの奮闘を描いた、柳田邦男さんの「空白の天気図」だ。見つけた。被爆後に複数の竜巻が発生し、「人間を六人も捲(ま)き上げ」たという記述を。

 激しい炎による上昇気流と、低温な川へ向かう下降気流がよれ合い、強力な竜巻を生じさせたらしい。きのこ雲も黒い雨もしかり。快晴だった広島の空を激変させた核兵器のおぞましさを思う。

 3人を救った竜巻や川でも、失われた命の方がはるかに多いに違いない。川越さんの本紙寄稿文によれば、赤ん坊も母親も翌月までに原爆症などで亡くなった。運命の残酷さに胸がふさがる。

 味わった地獄、生き残った罪悪感がそうさせたのか。川越さんの父は8月6日は必ず広島から離れ、県外へ出かけたそうだ。あまたの人生を激変させた「あの日」から間もなく80年。ことしも夏空が広がるだろうか。

(2025年8月2日朝刊掲載)

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