「こういう場面では黙るのか、と自分に聞いた」 吉川晃司さん一問一答
25年8月4日
<div style="font-size:106%;font-weight:bold;">「核兵器が使われることが二度とないよう発信をしたい」語る吉川さん</div><br>
被爆80年の企画展「ヒロシマ1945」を見学し、インタビューに答えた吉川晃司さんとの一問一答は次の通り。(金崎由美、里田明美)<br><br>
<strong>―広島出身の被爆2世として、被爆80年の節目をどのような思いで迎えていますか。</strong><br>
世界中で懐疑的な思想や、きな臭さがどんどん増していると感じる。<br><br>
子どもの時にボーイスカウトの活動をしており、8月6日の平和記念式典に参加していたが、正直言って特別深い思いや考えを持っていたわけではなかった。<br><br>
音楽活動を通して、子どもたちと平和の歌を作るなどしながら、言葉にしたり文字にしたりすることが大事だな、何か担えることがあればできる限りのことをしたいな、と思うようになった。<br><br>
<strong>―お父様の実家が原爆ドームの対岸にあった吉川旅館ですね。</strong><br>
若い頃は全く知らなかった。父が入市被爆の体験を語ることはなかったが、ここ10年、20年かな、ぽつりぽつりと話すようになった。伝えておかないと、と思うようになったんじゃないかな。<br><br>
<strong>―奥田民生さんとのユニット「Ooochie Koochie(オーチーコーチー)」の原爆テーマの楽曲「リトルボーイズ」。制作の背景も聞かせてください。</strong><br>Ooochie Koochie
あの日の朝、雲の上と下には母親に見送られた人たちがいた。原爆投下機「エノラ・ゲイ」の乗組員と、学徒動員の少年少女たち。どちらの母親も、子どもに生きて帰ってきてほしいと願っていたはず。それを歌詞にした。<br><br>
「エノラ・ゲイ」は、乗組員の母親の名前でもある。なぜB29爆撃機にそう名付けたのか。本当は怖かったし寂しくて、母親に守られたかったんじゃないかと思った。<br><br>
でもこうした重いテーマや現実は、直接的に、声高に言うほど伝わりにくくなる。曲も重々しくなく、歌い上げないほうが受け止めてもらいやすい。だからこれくらいのアップテンポの曲がちょうど良いのではないか。詞をどう書いたらいいのか、と時間は本当にかかった。<br><br>
<strong>―東日本大震災も大きな転機になりました。</strong><br>
東京大空襲を経験している自分の母が、津波で流された東北の状況を見て「あのときと同じだ」と言うのを聞き、はっとした。<br><br>
宮城県石巻市で、震災発生の1週間後から3週間ほど、ボランティアをさせてもらった。自分には何もできないという無力感にさいなまれた。でも本当は、自分は発信するすべを持っている。非政府組織(NGO)ピースボートの人たちと一緒になり、「君の力を使ってくれ」と言われた。東京に帰って現状を発信して、と言う人も。お前、まだできることいっぱいあるんじゃないの、って。<br><br>
戦争と災害は違うけど、多くの人が傷ついたという点は同じ。エンターテイナーとしてやってきて、こういう場面では黙るのか、と自分に聞いた。矛盾していないか、との思いも持った。ちっぽけな自分だけど、できることは何か考えた。<br><br>
だから、言葉にする、文字に書く、詞にする。以前は「自分の言葉が違うニュアンスで伝わると怖い」と二の足を踏むことがあった。でも、何かの力になれるのなら「よし、出て行こう」と思うようになった。<br><br>
<strong>―東日本大震災以降、原発についても発言しています。</strong><br>
当時は血の気が多かった分、短距離走者みたいな発言が多かった。でも少し俯瞰(ふかん)で見れば、すぐに原発を全部廃止することは確かに難しい。すぐゼロにはできなくても徐々に減らし、最終的には再生エネルギーでやっていけると思っている。(布袋寅泰さんとの)「COMPLEX」のライブで募金を集めた際も、原子力技術の向上のために寄付した。それは原発を進めるためでなく、事故を少しでも早く収束させる技術の開発に力を入れてもらうためだった。<br><br>
<strong>―世界には大量の核兵器があり、紛争が絶えません。被爆者の平均年齢は86歳を超えました。被爆国の私たちにできることは何だと思いますか。</strong><br>
もちろん、あのようなモンスターに多くの人々の命を奪われることが二度とあってはいけない。だから理想は、核兵器は地球上から全てなくなるのが望ましい。かたや今のウクライナのように、核兵器を放棄した国が侵略されるという、だまし討ちのようなことも起こっている。正しく祈って、まっすぐ見ていれば傷つけられないのかというと、そうではないのも事実だ。<br><br>
ただ、戦争を始める人は、安全地帯にいられる人たち。犠牲を強いられるのは庶民。ならば安全地帯にいる人だけで決めるんじゃなく、国民の総意を聞いて決めようよ、と思う。<br><br>
<strong>―企画展「ヒロシマ1945」の感想は。</strong><br>
子どもの頃に見て覚えている写真がたくさんある。でも、大人になってから見た方が強烈。子どもは「怖いな、痛そうだな」と感じるけれど、大人は「これは人間がやったことなのか。どうしてこうなったのか」と考える。<br><br>
世界中の人たちに、この企画展を見てほしい。そして、核兵器を使うような事態が二度とあってはならないと思う。中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」が平和教材から削除されるようなこともあったが、怖い物にふたをすると現実はいつまでたっても見られなくなるんじゃないかな。<br><br>
初めて写真を見た子どもには消化できないこともたくさんあるだろうが、受け止められると思う。原爆資料館の展示もそうだが、怖くて最後まで見られなくても、今度はちゃんと見ようって思えたらそれでいいじゃないですか。<br><br>
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「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」は中国新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、中国放送、共同通信社の主催。東京都写真美術館で8月17日まで。<br><br>
<a href="https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=154497" target="_blank" rel="noopener noreferrer">平和「言葉、文字、詞で発信」 被爆2世の吉川晃司さん 企画展「ヒロシマ1945」見学</a>