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連載・特集

被爆80年 伝承者の夏 <上> 父の逃げた道 歩き決意

次世代による東広島の戦争・原爆体験継承ネット 大石秀邦代表(65)=東広島市八本松東

 高校教員として長年、平和教育に携わってきた東広島市八本松東の大石秀邦さん(65)は、自分の伝える被爆の実態が上っ面の内容だと感じるようになった。「被爆者の思いが欠けているのではないか」。同市の賀茂高の校長として定年を迎える2020年ごろ、広島市の被爆体験伝承者を目指そうと考え始めた。

もう聞けぬ後悔

 一番身近な被爆者の父の話を聞けなかった後悔があった。「父が何を見たのか。何を感じたのか。聞き出してあげられなかった」。まずは、父正文さん(07年に76歳で死去)の被爆体験を掘り起こそうと、被爆者健康手帳の申請書類を広島市から取り寄せた。

 県立広島商業学校(現県立広島商業高)の3年生だった父はあの日、縮景園(広島市中区)の下宿先で被爆。頭に傷を負いながら、倒壊した家屋から抜け出した。翌7日、芸備線に乗り、狩留家駅から山を越えて西志和村(現東広島市)の実家にたどり着いた。

 大石さんは22年8月7日、父の避難経路をそのままたどった。「不安だったと思うし、両親に早く会いたかっただろう。生きて帰ってくれてありがとう」。父の墓前で、被爆の実態を伝えていく思いを強くした。

 翌23年、被爆体験伝承者に応募。2年間の研修を受け、今年3月にデビューした。語り継ぐのは爆心地から約1・8キロで被爆した元小学校教員の梶矢文昭さん(86)=安佐南区=の証言。「梶矢先生たち被爆者の願いを伝えていくことが、3度目の核兵器を使わせないことにつながる」

 将来の担い手育成にも力を注ぐ。被爆者たちと高校生たちをつなぐ「次世代による東広島の戦争・原爆体験継承ネット」を22年に立ち上げた。継続が危ぶまれた東広島市八本松南での原爆死没者慰霊式を昨年、賀茂高の生徒たちと引き継いだ。

生徒サポートも

 市内の小中学生が中区の平和記念公園で平和の尊さを学ぶ「平和学習バス」では、公園内の碑巡りのガイドを務める賀茂高の生徒をサポート。被爆者が残した手記のデジタル化や、同高演劇部員による手記の朗読イベントの開催も続ける。

 「ほそぼそとでも途切れさせないことが大切。被爆80年を契機に東広島の小中学校にも呼びかけて活動の輪を広げたい」

    ◇

 80年前の原爆の惨禍を生き抜いた被爆者の思いを伝える被爆体験伝承者が東広島市にもいる。市内の若い世代に平和の取り組みをつなぐことに力を注ぐ2人の伝承者に思いを聞いた。(石井雄一)

(2025年8月2日朝刊掲載)

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