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[被爆80年] 2年後に建立 木碑祈り深く 爆心600メートルの浄国寺に現存 継承へ住民ら慰霊祭

 被爆2年後の1947年8月に建てられた木碑が、爆心地から約600メートルの浄国寺(広島市中区)に現存している。原爆犠牲者を慰霊する木碑は戦後に相次ぎ建てられたが、石碑に替わったり朽ち果てたりし、当時の姿を残すのは市中心部で唯一とみられる。思いを受け継ごうと、地元住民たちによる新たな慰霊祭も始まっている。(藤村潤平)

 木碑は、高さ約2・2メートルの「広島県防空機動隊員慰霊碑」。既に文字などは判別できず、朽ちて裂けた箇所もある。元隊員の岡野俊二郎さん(87年に82歳で死去)たちが、被爆死した仲間を弔うために建立した。

 新編広島県警察史(54年刊)によると、県防空機動挺身(ていしん)隊は44年7月、民間の防空協力団体として広島市内の自動二輪の所有者約20人によってつくられた。空襲警報が出ると出動し、警察の通信連絡や伝令を担った。45年3月19日、呉市が米軍に初空襲され呉―広島間の通信が途絶した際に活躍したとの記述がある。

 日中戦争が始まった37年に施行された旧防空法は、国民に防空義務を課した。隊員は医療関係者などと同様に市外への疎開を制限されていたとみられる。避難しようにも避難できず死んだ仲間をふびんに思っていたのか。藤田明信住職(83)は、岡野さんが碑に参る姿を記憶する。「いつもバイクで現れて、熱心に弔っていた」。岡野さんの死後も近隣の住民が花を供えるなどし、慰霊はささやかに続いてきた。

 浄国寺は2017年に境内を再整備。奥にあった被爆した地蔵6体を正門近くに移すなどした。そのため近年は、地蔵に引かれて外国人観光客が訪れる姿も目立つ。せっかくなら碑の存在も伝えようと、寺が英語や中国語など4カ国語の説明板を昨年夏に設けた。

 建立の経緯に岡野さんの名前を入れることは、孫の哲夫さん(71)=西区=に了解を得た。哲夫さんは「祖父から詳しく聞いていなかったが、説明板を見ると思いが深まる」と手を合わせる。

 木碑の隣には旧町民を弔う石碑の「西地方(じかた)・西新町町民慰霊碑」もある。二つの碑を囲み、寺や地元の土橋町内会が昨年8月に合同慰霊祭を始めた。夏祭りも同時に開いている。永谷尚美会長は「夏の思い出と共に記憶に残し、語り継ぎたい」と話す。慰霊祭は今年も4日午後6時から営む。

(2025年8月2日朝刊掲載)

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