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社説・コラム

『今を読む』 立命館大衣笠総合研究機構研究員 鈴木裕貴(すずきゆうき) 被爆者運動の「時差」

放置された障害者・空襲被害者

 「ましろ日」(小学館、全7巻)という漫画がある。原作の香川まさひとさんと作画の若狭星さんがタッグを組んだ作品だ。舞台は現代の広島。交通事故で視力を失った主人公が「ブラインドマラソン」に出会うまでが描かれる。仲間たちもさまざまな傷を抱えることが明らかになっていく中で事故加害者とも邂逅(かいこう)し、生きる意味とは何かを重く問いかける。

 興味深いのは被爆地広島を舞台としつつも、視覚障害という「原爆」と異なる社会問題が主題として扱われたことだろう。被爆地への関心とは裏腹に、原爆以外の社会問題、あるいはその問題と原爆との接点が意識されることは、これまで決して多くなかった。

 視覚障害があった被爆者の存在は、その一つであろう。「ピカドン」という言葉に象徴されるようにこれまで被爆者は「ピカ」が見え、「ドン」が聞こえたという、いわば健常者であることが無意識の前提であった。実際には「ピカ」が見えず、「ドン」が聞こえなかった被爆者、すなわち視覚・聴覚に何らかの障害があって8月6日と9日を迎えた人は数百人に上っていたとみられる。

 2000年代以降、こうした被爆者の存在にも光が当たっている。改装された原爆資料館は点字版を拡充し、長崎市の平和祈念式典では03年に山崎栄子さんが手話で「平和への誓い」を述べた。ただ、少なくとも日本被団協の結成や原水禁運動が盛り上がりを見せた1950年代から考えれば、半世紀以上のタイムラグがあることを見逃すべきではない。

 被爆地が抱えるこうした問題意識の「時差」は、模擬原爆の解明の遅れにも象徴されている。米軍が広島・長崎への原爆投下を前に行った演習であり、全国で400人以上の犠牲者を生んだ。

 この被害は戦後、長らく認知されないままだった。91年に愛知県の春日井の戦争を記録する会が、パンプキンと呼ばれる1万ポンド爆弾が各地に投下されたことを公表した。同会が米軍の新資料を発見したことが発端になったが、より根本的な地下水脈をたどれば、被爆地が原爆とは異なる空襲の被害を軽視してきたことも関係していたように思われる。

 仮に戦後の被爆者運動と空襲被害者の救済運動が何らかの連帯を深めていれば「原爆」であり、かつ「空襲」でもあった模擬原爆の実態が戦後半世紀近くも放置されることはなかったのではないか。

 70年代に、空襲被害者たちはようやく自らの声を上げ始める。70年の東京空襲を記録する会や、71年の全国連絡会議の結成は、その嚆矢(こうし)である。一方で、この時期は被爆者にとっても肝要な時期であった。被爆者援護法の4野党の共同提案が進むなどして、日本被団協が国への要求をまとめた66年の通称「つるパンフ」でも、空襲など一般戦災者との差異化がむしろ強調されていた。

 変化の兆しは、80年の原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)の答申以後だった。原爆や戦争被害への国家補償を拒否する「受忍論」に抵抗するには、空襲被害者の協力も必要であるという認識が一部で広がってきたのである。80年末の被爆者援護法の制定を目指すシンポジウムでは一般戦災者との連携をはじめ、戦争で身体障害者となった人たちとの幅広い連携運動が提起された。また長崎で発行されていた運動誌「ヒロシマ・ナガサキの証言」への空襲被害者からの寄稿も目立った。

 こうした両運動の連帯が進み出した時期に、模擬原爆がいわばその内接点として発見されたのは偶然ではないだろう。

 「ましろ日」の最終巻、登場人物の一人は孤児であった自身の境遇も踏まえつつ、主人公にこんな言葉を発する。「ていうか、地獄を見た人なんてゴロゴロいるんです」。人類史上初の原爆被害は何人も否定できない「地獄」であった。その苦悩の固有性は決して忘れられるべきでない。

 しかし、戦中戦後から現代に至る日本社会にはほかにも「地獄」があった。それは空襲であり、障害を理由に差別を受けることであった。そして、それがそれぞれの運動につながっていった。

 半世紀以上にわたる被爆者運動は「まどうてくれ」という訴えと思想を培ってきた。今後は被爆者以外の「まどうて」ほしかった人びとに、その叡智(えいち)と経験を共有することが可能かもしれない。

 戦後80年という経年は体験者の減少に伴う継承の流れの「終点」では決してない。さまざまな体験や運動同士の連帯の「始点」としても思考されるべきではないだろうか。継承を巡る議論は、こうした地点から再構築され得るように思われるのである。

 1994年広島市生まれ。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、広島大原爆放射線医科学研究所付属被ばく資料調査解析部研究員を経て2023年現職。専攻は社会運動史。

(2025年8月5日朝刊掲載)

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