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連載・特集

緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎⑧

 養子のわが父を十年育てた祖父母が40代半ばで、手がかかる1歳の乳児をあらたに養女にしたのはなぜか。昭和19年、食糧難の時代だ。なにか複雑な事情があったのかもしれない。

 祖母は生後6カ月で亡くなった実子の面影を求めていたのではないかとも思う。長男が手を離れると祖母は1歳の乳児を養女に迎え、その養女が十代半ばになると、言うことを聞かないと冷水を浴びせる折檻(せっかん)をした。私の父と母の結婚には反対したが、孫の私はかわいがった。「あげん、反対したくせに」と母はよくぼやいていた。

 人間はしばしば理不尽な運命に翻弄(ほんろう)される。

 祖母にとって生後6カ月でわが子を失ったのが理不尽なら、次の子ができなかったのも理不尽、子が育っていくのも、わが意にそむくのも理不尽。戦争も理不尽なら、夫が原爆に二度も遭うのは許しがたい理不尽だろう。「みっともなか」という祖母のことばは運命への深い怒りではなかったか。

 祖父はむしろ悲哀と無力感で淡々とやりすごしたように思える。「旅行証明書」を手にして広島と長崎を列車で行き来した祖父の不安な心中を思う。

 ひとりうなだれていた祖父の潤んだ目をのぞきこんで「ごめん」とあやまりたい。

 あの目は80年前の8月、広島と長崎の二度の光を見たのだろうか。今なら「じいちゃん、話して」と耳に唇を寄せて大声で呼びかけるのに。(作家=長崎市) =おわり

(2025年8月5日朝刊掲載)

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