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[被爆80年] 空襲・被爆 97歳まで証言 母の遺影 祈念館へ 大阪在住の鳥羽さん申請

 被爆2世の鳥羽洋子さん(73)=大阪府茨木市=が4日、母の浜恭子さんの遺影の登録を国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)に申請した。浜さんは1945年3月の大阪大空襲で被災し、広島に移り住んだ中で被爆。目の当たりにした空襲と原爆の惨禍を最晩年まで伝え続け、昨年10月に98歳で亡くなった。

 当時19歳だった浜さんはあの日朝、爆心地から約1キロの上流川町(現中区)の親戚宅にいた。空襲を受けた大阪市で火の海を母と逃げ惑い、広島へ避難。その後、島根県日貫(ひぬい)村(現邑南町)に疎開したが、広島にとどまった母たちを迎えに戻っていた。

 青白い光線を感じた直後、家屋の下敷きになって背中を負傷。逃げる途中で皮膚をぶら下げて押し寄せる幽霊のような人、家屋の下敷きになった家族の助けを求める人を見てきた。「どうしてあげることもできなかった」と悔やんだ。

 広島、大阪で経験した悲惨な記憶の証言活動を始めたのは2005年。長女の鳥羽さんが教諭を務める高校で話したのがきっかけだった。以来、97歳まで茨木市近郊の学校や市民集会で語り継いだ。「依頼があれば引き受けていた。体験を次代に伝える大切さを感じていたのだと思う」と、鳥羽さんは振り返る。

 この日申請した遺影は、証言活動でフランスを訪れた際に撮ったものだ。鳥羽さんは「自分の体験記や証言ビデオも所蔵する祈念館は、母にとって思い入れのある場所。この場所で多くの人に原爆や空襲の惨禍を知ってほしい」と願う。(小林可奈)

(2025年8月5日朝刊掲載)

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