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[被爆80年 リレーエッセー] グリーン・レガシー・ヒロシマ共同創設者、コーディネーター ナスリーン・アジミ 平和の希望を語り継ぐ

 2024年10月、米紙ニューヨーク・タイムズが6カ月にわたる取材を基に報じた米国における核兵器の近代化に関する記事を読み、大きな衝撃を受けた。

 その数週間後、日本被団協のノーベル平和賞受賞の知らせに思わず涙をこぼした。心の中に矛盾する二つの感情が渦巻いていたからである。当然の受賞だと感じると同時に、国家関係が緊張を高め、核保有国が兵器の「近代化」を進める中、それはあまりにも小さな存在で遅すぎた、と。

 被爆者たちの長い道のりを思う時、歴代のノーベル平和賞受賞者たちの姿も忘れてはならない。数々の困難や犠牲、時には死を乗り越え、決して屈しなかった人々がそこにはいる。

 例えばイランの女性人権活動家、ナルゲス・モハンマディ氏。投獄と釈放が繰り返され、10年近く子どもと引き離されても闘い続ける。ベラルーシの穏やかな人権活動家、アレシ・ビャリャツキ氏は獄中でも信念を曲げることはない。

 共同受賞したコンゴ(旧ザイール)の産婦人科医デニ・ムクウェゲ氏とイラク人女性ナディア・ムラド氏は紛争下の性暴力と今も闘い続ける。「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))も、核兵器開発の拡大の中でなお訴えを続けている。長年にわたる当局の拘束の後、17年に死去した勇敢な中国の哲学者・文芸評論家の劉暁波氏のことも忘れてはなるまい。

 残酷な指導者が世界各地で権力を振るう今日、平和への取り組みがときに空虚で場違いに思える瞬間もある。それでも私は絶望的になるたび、平和記念公園(広島市中区)を訪れる。樹木活動家であり、建築愛好家の私のような人間にとってここは癒やしの空間だ。努力次第で自然の寛大さと人間の英知の調和がいかに豊かな美を創り出せるかを鮮やかに示す場なのだ。

 広島や長崎に生きる私たちには核戦争の恐怖と平和の希望を語り継ぐ使命がある。学生や若い同僚のまなざしに、丹下健三による建築に、そして広島市の市民団体「グリーン・レガシー・ヒロシマ(GLH)」の仲間が世界のどこかで一粒の被爆樹木の種をまくときに私はその力を見いだす。

(2025年7月26日朝刊セレクト掲載)

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