[被爆80年 リレーエッセー] 国連ユニタール広島事務所プログラム・オフィサー シャムスル・ハディ・シャムス 広島の物語 未来への光に
25年6月26日
母国アフガニスタンで高校生だった頃、「広島と1945年8月6日の出来事」について学んだ授業を鮮明に覚えている。破壊の映像は強烈な印象を残し、今も戦争の恐ろしさを理解するための原点である。この深い衝撃が広島大(東広島市)への進学を目指し政府奨学金に応募する動機となり、歴史ある地、広島へ導かれるきっかけにもなった。
広島に来て初めて平和記念公園(広島市中区)を訪れた時、その静寂さに胸を打たれた。80年前にここで起きた惨劇と現在の穏やかな風景との対比はあまりにも鮮烈だった。公園はかつての惨状を伝えると同時に広島の人々がいかに困難を乗り越え、復興を遂げたかを物語る場でもある。原爆ドームの前を通れば、時間をさかのぼる旅をしているかのような感覚に陥る。二度とこのような悲劇を繰り返してはならない、という人類への厳粛なメッセージがそこには刻まれている。
籍を置く国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所では、母国を含む紛争の影響国から研修生を広島に迎え、平和構築や復興をテーマとする研修を実施している。そこでは来日した参加者たちが広島の物語に強く心を動かされている姿を目の当たりにする。原爆資料館を訪れた研修生の多くが、無垢(むく)な子どもたちの被爆体験に触れ涙を流す。だが単に悲しみだけで終わらない。彼らの心に問いが生まれる。「広島はどうやってここまで立ち直ったのか。人々に再び立ち上がる力を与えたのは何だったのか」
その問いかけは、個人的な悲しみを超え、普遍的な希望と復興の教訓に変わる。帰国後、多くの研修生は広島で得た学びを胸に、母国の復興や平和構築に向けた行動を起こしている。広島の復興の歩みは、今まさに困難に直面する国々にとって希望の象徴なのだ。
われわれは、研修後も多くの参加者と連絡を取り合っている。彼らは広島での経験を人生の転機として語り、平和の実現に向けた決意を新たにしている。広島の物語は過去の記憶にとどまらず、未来への光となって、世界中の人々の心を照らし続けていると信じる。
(2025年6月26日朝刊セレクト掲載)
広島に来て初めて平和記念公園(広島市中区)を訪れた時、その静寂さに胸を打たれた。80年前にここで起きた惨劇と現在の穏やかな風景との対比はあまりにも鮮烈だった。公園はかつての惨状を伝えると同時に広島の人々がいかに困難を乗り越え、復興を遂げたかを物語る場でもある。原爆ドームの前を通れば、時間をさかのぼる旅をしているかのような感覚に陥る。二度とこのような悲劇を繰り返してはならない、という人類への厳粛なメッセージがそこには刻まれている。
籍を置く国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所では、母国を含む紛争の影響国から研修生を広島に迎え、平和構築や復興をテーマとする研修を実施している。そこでは来日した参加者たちが広島の物語に強く心を動かされている姿を目の当たりにする。原爆資料館を訪れた研修生の多くが、無垢(むく)な子どもたちの被爆体験に触れ涙を流す。だが単に悲しみだけで終わらない。彼らの心に問いが生まれる。「広島はどうやってここまで立ち直ったのか。人々に再び立ち上がる力を与えたのは何だったのか」
その問いかけは、個人的な悲しみを超え、普遍的な希望と復興の教訓に変わる。帰国後、多くの研修生は広島で得た学びを胸に、母国の復興や平和構築に向けた行動を起こしている。広島の復興の歩みは、今まさに困難に直面する国々にとって希望の象徴なのだ。
われわれは、研修後も多くの参加者と連絡を取り合っている。彼らは広島での経験を人生の転機として語り、平和の実現に向けた決意を新たにしている。広島の物語は過去の記憶にとどまらず、未来への光となって、世界中の人々の心を照らし続けていると信じる。
(2025年6月26日朝刊セレクト掲載)