[被爆80年 リレーエッセー] 元JICA日系社会青年海外協力隊員 只野杏奈 平和のバトンつなぎたい
25年6月12日
「戦争も、原爆も過去の出来事ではない」―。広島で生まれ育ち、幼い頃から被爆者や戦争体験者の生の声に耳を傾ける機会に恵まれた私にとって、平和は教科書の中の言葉ではない。
大学時代、原爆被害の伝承活動をし、国際協力ボランティアにも関わった。そして社会人となり、家と職場を往復する日々に、次第に自身の原点を見失いそうになっていた。そんなある日、偶然参加した国際協力機構(JICA)の講演会で耳にした「このままでいいのか」という言葉が心に突き刺さり、迷わずJICA海外協力隊に応募した。
そして2023年4月、南米パラグアイのピラポという日系移住地に派遣された。青年海外協力隊員として日本語教育を担当しながら、ずっと心にあった平和の大切さを伝えたいという思いを形にするべく、平和展を開いた。戦争体験者の高齢化が進む中、今行動しなければ語り継ぐべき歴史や思いが途絶えてしまうとの危機感があったからだ。
原爆資料館(広島市中区)から提供されたポスターなどを展示した。直視できないような写真もあったが、ありのままを伝えた。私自身、小学生の頃に見た資料館の展示物が今も強烈な記憶で残る。あの日、眠れない夜を過ごした経験が「平和とは何か」を問い続ける原点となっている。
来場者にも歴史と向き合い、感情をしっかり心に刻み、今この時、この国に生まれた幸せを改めて感じてほしいと思った。世界ではいまだ戦火が絶えず、核兵器の保有国も数多い。広島の悲劇は決して過去のものではない。自分にできることを考えるきっかけになればと講話もした。
広島をルーツに持つ一人の日系女子高校生が「私もこの平和展を一緒にやり、将来引き継ぎたい」と言ってくれたことは、何よりの喜びだ。彼女とは別の街で平和展を開催し、ノウハウを引き継いだ。彼女が今後パラグアイだけでなく世界で、平和への思いを語り継いでくれることを心から願う。私も広島の地で育まれた平和への誓いを胸に、世界、そして未来へ平和のバトンをつないでいきたい。
(2025年6月12日朝刊セレクト掲載)
大学時代、原爆被害の伝承活動をし、国際協力ボランティアにも関わった。そして社会人となり、家と職場を往復する日々に、次第に自身の原点を見失いそうになっていた。そんなある日、偶然参加した国際協力機構(JICA)の講演会で耳にした「このままでいいのか」という言葉が心に突き刺さり、迷わずJICA海外協力隊に応募した。
そして2023年4月、南米パラグアイのピラポという日系移住地に派遣された。青年海外協力隊員として日本語教育を担当しながら、ずっと心にあった平和の大切さを伝えたいという思いを形にするべく、平和展を開いた。戦争体験者の高齢化が進む中、今行動しなければ語り継ぐべき歴史や思いが途絶えてしまうとの危機感があったからだ。
原爆資料館(広島市中区)から提供されたポスターなどを展示した。直視できないような写真もあったが、ありのままを伝えた。私自身、小学生の頃に見た資料館の展示物が今も強烈な記憶で残る。あの日、眠れない夜を過ごした経験が「平和とは何か」を問い続ける原点となっている。
来場者にも歴史と向き合い、感情をしっかり心に刻み、今この時、この国に生まれた幸せを改めて感じてほしいと思った。世界ではいまだ戦火が絶えず、核兵器の保有国も数多い。広島の悲劇は決して過去のものではない。自分にできることを考えるきっかけになればと講話もした。
広島をルーツに持つ一人の日系女子高校生が「私もこの平和展を一緒にやり、将来引き継ぎたい」と言ってくれたことは、何よりの喜びだ。彼女とは別の街で平和展を開催し、ノウハウを引き継いだ。彼女が今後パラグアイだけでなく世界で、平和への思いを語り継いでくれることを心から願う。私も広島の地で育まれた平和への誓いを胸に、世界、そして未来へ平和のバトンをつないでいきたい。
(2025年6月12日朝刊セレクト掲載)