[被爆80年 リレーエッセー] 元広島平和研究所客員研究員 マルティナ・ショヤ 惨禍からの復興 胸に刻む
25年4月24日
私の広島との物語は2024年8月、国連軍縮部主催の「ユース非核リーダー基金」事業の研修者の一人として、母国ポーランドから広島を訪れたことから始まった。その後、光栄にも広島市立大広島平和研究所フェローシップの若手研究者に選ばれ、25年1月から3月まで滞在した。
最も深く胸に刻まれたのが原爆の惨禍から復興した広島の姿である。破壊から希望と平和への誓いを掲げる都市へと生まれ変わった広島は現実の世界で灰の中から立ち上がる不死鳥そのものだった。
多くの市民社会組織や献身的なボランティアが核軍縮のために活動する「生きた平和都市」だとも感じた。核軍縮をテーマにした国連訓練調査研究所(ユニタール)での市民を交えたトークショー、原爆放射線の長期的な影響について学んだ放射線影響研究所(広島市南区)など、有意義な経験もたくさんできた。
最も感情を揺さぶられたのが原爆資料館(中区)での被爆体験記の朗読会だった。ずっと涙が止まらず、終了後も言葉が出なかったが、それが唯一の正しい反応だったように思う。なぜなら計り知れない破壊と喪失を前にどんな言葉も慰めにはならないから。時には沈黙の祈りと深い内省だけが、必要な答えなのかもしれない。
広島の草の根の平和運動を学ぶ研究にも努めている。個々の行動が変化を生み出す力となり、すべての行動には意味があると信じるから。24年の日本被団協のノーベル平和賞受賞はその力強い証明である。日本はこの遺産を誇りとし、世界的な核軍縮の推進に生かすべきだ。
被爆者の声はこれからも世界中に響き渡らなければならない。被爆者が高齢化し、世代交代の時期を迎えている今こそ、その証言に一層耳を傾けるときである。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」は、世界のあらゆる場所で響くべきメッセージ。そうすることが私たちの責務なのだ。
世界の政治情勢が予測不能な方向に進む中で核兵器に対し断固とした姿勢を取り続けよう。核戦争の壊滅的な影響を知っているのなら自らが信じる行動に曖昧さも、ちゅうちょもあってはならない。
(2025年4月24日朝刊セレクト掲載)
最も深く胸に刻まれたのが原爆の惨禍から復興した広島の姿である。破壊から希望と平和への誓いを掲げる都市へと生まれ変わった広島は現実の世界で灰の中から立ち上がる不死鳥そのものだった。
多くの市民社会組織や献身的なボランティアが核軍縮のために活動する「生きた平和都市」だとも感じた。核軍縮をテーマにした国連訓練調査研究所(ユニタール)での市民を交えたトークショー、原爆放射線の長期的な影響について学んだ放射線影響研究所(広島市南区)など、有意義な経験もたくさんできた。
最も感情を揺さぶられたのが原爆資料館(中区)での被爆体験記の朗読会だった。ずっと涙が止まらず、終了後も言葉が出なかったが、それが唯一の正しい反応だったように思う。なぜなら計り知れない破壊と喪失を前にどんな言葉も慰めにはならないから。時には沈黙の祈りと深い内省だけが、必要な答えなのかもしれない。
広島の草の根の平和運動を学ぶ研究にも努めている。個々の行動が変化を生み出す力となり、すべての行動には意味があると信じるから。24年の日本被団協のノーベル平和賞受賞はその力強い証明である。日本はこの遺産を誇りとし、世界的な核軍縮の推進に生かすべきだ。
被爆者の声はこれからも世界中に響き渡らなければならない。被爆者が高齢化し、世代交代の時期を迎えている今こそ、その証言に一層耳を傾けるときである。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」は、世界のあらゆる場所で響くべきメッセージ。そうすることが私たちの責務なのだ。
世界の政治情勢が予測不能な方向に進む中で核兵器に対し断固とした姿勢を取り続けよう。核戦争の壊滅的な影響を知っているのなら自らが信じる行動に曖昧さも、ちゅうちょもあってはならない。
(2025年4月24日朝刊セレクト掲載)