[被爆80年 リレーエッセー] 国連訓練調査研究所広島事務所長 三上知佐 被爆地で学び深め 人材育成
25年3月27日
関西で生まれ、関東で育った私には、成人するまで広島を訪れる機会がなかった。最初の訪問のきっかけは、結婚後に来日した夫に「ヒロシマに行きたい」と頼まれたこと。初めて訪れた原爆資料館は、それなりに前知識を持っていると思っていた私にも大きな衝撃だったが、夫にはさらに強い印象を残したようだった。
2度目の訪問は2023年の桜が咲くころだった。通算20年以上にわたった海外での生活を終えてふたたび日本で生活するようになり、旅行の計画を立てていた時のこと。夫が「息子にもヒロシマを見てほしい」と言い出し、今度は3人で広島へ。普段はゲームやスポーツに夢中の息子も、原爆資料館では神妙な面持ちで展示を見て回り、「こんなことが実際に起こったとは信じられない」と驚いていた。
その年の秋、縁あって広島に事務所(広島市中区)を構える唯一の国連機関である国連訓練調査研究所(ユニタール)に奉職し、広島事務所長として初めての広島での生活が始まった。
国連ユニタールは、主に開発途上国の人材育成に取り組む組織で、さまざまな研修事業を実施しているが、中でもアジア太平洋の外交官を対象にした核軍縮不拡散研修は、今年10回目を数える基幹事業である。
そして、もうひとつの重要な事業に、国連ユニタール青少年大使プログラムがある。こちらは、広島の青少年を対象に、新しい時代を担うリーダーの育成を目指している。こうした事業を実施するとともに、私自身も、被爆者の方々から被爆体験をうかがったり、被爆樹木の種を海外に送ったりする活動に携わっている。さらに学校で実践されている平和教育のお話を聞いて学びを深めている。
昨年8月6日には、初めて平和記念式典に参列する機会を得た。その際、原爆で亡くなられた方々の霊を慰めるとともに、平和への思いを新たにした。国連ユニタールの事務所からは、平和記念公園を一望することができる。出勤すると、まず窓の外を見て、何故自分が今ここにいるのかを再確認してから仕事にとりかかる毎日である。
(2025年3月27日朝刊セレクト掲載)
2度目の訪問は2023年の桜が咲くころだった。通算20年以上にわたった海外での生活を終えてふたたび日本で生活するようになり、旅行の計画を立てていた時のこと。夫が「息子にもヒロシマを見てほしい」と言い出し、今度は3人で広島へ。普段はゲームやスポーツに夢中の息子も、原爆資料館では神妙な面持ちで展示を見て回り、「こんなことが実際に起こったとは信じられない」と驚いていた。
その年の秋、縁あって広島に事務所(広島市中区)を構える唯一の国連機関である国連訓練調査研究所(ユニタール)に奉職し、広島事務所長として初めての広島での生活が始まった。
国連ユニタールは、主に開発途上国の人材育成に取り組む組織で、さまざまな研修事業を実施しているが、中でもアジア太平洋の外交官を対象にした核軍縮不拡散研修は、今年10回目を数える基幹事業である。
そして、もうひとつの重要な事業に、国連ユニタール青少年大使プログラムがある。こちらは、広島の青少年を対象に、新しい時代を担うリーダーの育成を目指している。こうした事業を実施するとともに、私自身も、被爆者の方々から被爆体験をうかがったり、被爆樹木の種を海外に送ったりする活動に携わっている。さらに学校で実践されている平和教育のお話を聞いて学びを深めている。
昨年8月6日には、初めて平和記念式典に参列する機会を得た。その際、原爆で亡くなられた方々の霊を慰めるとともに、平和への思いを新たにした。国連ユニタールの事務所からは、平和記念公園を一望することができる。出勤すると、まず窓の外を見て、何故自分が今ここにいるのかを再確認してから仕事にとりかかる毎日である。
(2025年3月27日朝刊セレクト掲載)