山口の被爆者・被爆2世 80年 <中> 上野敦子さん(66)=山口市
25年8月6日
歴史学ぶ大切さ 児童に 父と対話 家族伝承者へ
「山口の子どもたちに原爆の悲惨さや、当たり前に思える今の生活の大切さを知ってほしい」。山口市阿知須の児童クラブ主任支援員上野敦子さん(66)は、地域の小学校などで広島市の原爆被害や平和の尊さを児童に伝えている。
広島市安佐北区出身の被爆2世。父は広島駅近くの国鉄広島第一機関区で被爆し、母は原爆が投下された6日後に疎開先から同市楠木町(現西区)の家に戻り入市被爆した。上野さんは結婚後、34歳で山口市に移住。8月6日が登校日でないことに衝撃を受け、約10年前から、阿知須地域の阿知須小と井関小の児童クラブで原爆について語っている。また両小では2023年から、地域の講師として平和学習を担当している。
「遺体を踏んだこともある。水をくれと言われたが振り払った……」。かつて寡黙な父が酒を飲んだ際、涙ながらに語った被爆体験を話している。原爆資料館のパンフレットや紙芝居も使って被爆後の街の惨状も伝えている。
授業では、被爆の歴史を教えるだけでなく、なぜ戦争が起こるのか、自分たちに何ができるのかを児童に考えてもらう時間をつくり、歴史を学ぶことの大切さも強調している。
昨年に母が亡くなり、父は介護施設に入った。被爆者のいない時代が近づいていることを実感している。昨年から、家族の被爆体験を聞き取って代わりに語り伝える広島市の「家族伝承者」の研修に通っている。「記憶を伝えていくためには戦時中や戦後の空気を吸った人と対話することが大事」と強調。児童にも身近に戦争を体験したお年寄りがいれば話を聞くよう勧めている。
被爆2世として、原爆の放射線による遺伝的影響への不安を抱いてきた。学生時代に「白血球の値がおかしい」と診断されたり、友人から周りに白血病で亡くなった子がいたことを聞かされたりした。家族伝承者として父から話を聞き取る際、「記憶がよみがえってつらくなるかもしれないと聞くのを遠慮してしまう」という苦悩もある。
それでも自分でできることをしたいと考えている。今でもロシアはウクライナ侵攻を続け、プーチン大統領は核兵器使用の脅しを繰り返している。ガザ地区ではイスラエル軍による攻撃が終わらない。「食べるものや寝るところがある当たり前の未来が子どもたちに訪れるよう、子どもと被爆者の方をつなぎ、みんなで語り合って平和を広げたい」(鈴木愛理)
(2025年8月6日朝刊掲載)