×

社説・コラム

社説 ヒロシマ80年 誰もが語り継ぐ人になろう

 〈戦争というものは、人間が起こすものです。自然災害と異なり、防ぐ事が出来ます。殊に核兵器は絶対に使うべきではありません〉

 中国新聞、長崎新聞、朝日新聞が合同で実施した被爆者アンケートに、呉市の川田〓子(れいこ、〓はしめすへん「礻」に「豊」)さん(91)が寄せたメッセージだ。

 核兵器は人間が生み出したものだ。人間の手によってなくさねばならない。米国が広島に原爆を投下して80年を迎えるきょう、改めて思う。

 被爆者アンケートに寄せられた3564人の回答をつぶさに読んだ。その一つ一つから、「核兵器のない世界」が遠のく危機感がにじむ。

思いが「伝わらぬ」

 体験や思いが次世代に「伝わっている」と感じている人は半数に満たなかった。記憶の風化や核を巡る国際情勢に眉をひそめる姿が浮かび上がる。「世界の人たちは単なる大型爆弾くらいにしか理解していないのでは」。同様の意見がいくつも見られた。

 核使用をちらつかせ、ウクライナ侵攻を続けるロシア。パレスチナ自治区ガザを執拗(しつよう)に攻撃するイスラエル。ことし5月にはインドとパキスタンの核保有国同士が軍事衝突し、6月には米国がイランの核関連施設を攻撃した。

 法も秩序も無視し、力で相手をねじ伏せる。そんな国で核のボタンを握る為政者にとって、核は「威力」であり、「人間的悲惨」と捉えようとはしていない。尊厳をも奪う死や、生き延びても生涯付きまとう放射線の恐怖といった非人道的な結末を招くと気付かせなければならない。

 今こそ被爆国日本が先頭に立って、その役割を果たすべきだ。ところが石破政権は台湾有事などを想定した日米両政府による机上演習で、米軍が核兵器を使うシナリオを議論していた。

核抑止論への警鐘

 いかなる事態でも核使用に反対し、あらゆる手段を講じて戦争回避の道を追求するのが日本の役割のはずだ。しかも国際協調に背を向けるトランプ政権にわが国の安全保障を委ねていいのか。越えてはならない一線を越えてしまった気がしてならない。

 「反対目標は物としての核兵器だけでなく、人の組織としての核権力である」。本紙論説主幹などを務めた故金井利博氏が著書「核権力―ヒロシマの告発」(1970年)で鳴らした警鐘を改めてかみしめなければならない。

 核兵器がある限り、人為的なミスを含めさまざまなリスクが伴う。自国の安全を高めようとする行動は、他国にも同じような措置を促す。相互不信と軍拡を助長するだけだ。

 核抑止論は幻想というほかない。あらがう声に説得力を持たせるのは被爆者の体験だ。

 同じ苦しみをほかの誰にも味わわせたくない―。こうした使命感に駆られた被爆者が、思い出すのもつらい地獄を証言してきた。核兵器禁止条約の原点であり、核使用を思いとどまらせる「核のタブー」の礎となった。核抑止論を乗り越えるには、自国第一ではない、人類を自滅させない視点に立つことが求められよう。

 その思いを強くした被爆者アンケートだが、読み進めて感じたもう一つの避け難い現実がある。被爆者なき時代がそう遠くないことだ。

被爆者なき時代に

 被爆者健康手帳を持つ人は3月末で9万9130人。この1年で7695人減り、初めて10万人を割り込んだ。被爆90年から100年の間に被爆者はいなくなるかもしれない。

 もう頼れる時間は限られていると、私たちは覚悟しなければならない。平均年齢は86・13歳。記憶の継承は私たちの急務だ。

 周囲の差別や偏見を恐れ、胸の中に80年もしまい込んできた記憶を今回のアンケートで明かした人は少なくない。「最後だから伝えたい」と遺言のようにメッセージをしたためた人。「後世に必ず伝えて」と願う人。その思いをきちんとくみ取りたい。

 被爆地と被爆者、私たち市民には、日本政府に核兵器禁止条約へ加われと、核保有国に核を手放せと、もの申す権利と責任がある。

 松井一実市長はきょうの平和宣言で、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の代表委員や広島県被団協理事長を務めた故坪井直(すなお)さんが常に唱えていた「ネバーギブアップ」の言葉を引き、核兵器廃絶を諦めぬ姿勢を示す。被爆地の警鐘を、石破茂首相や核保有国の代表は真剣に受け止めてほしい。

 証言を掘り起こし、不戦の誓いを新たにして、被爆体験を未来に、世界に発信する。身をもって体験した人がいなくなったとしても、人工知能(AI)などの最新技術を使って記憶と記録をとどめ、伝える試みが若い世代を中心に続く。心強い。

 誰もが「語り継ぐ人」になりたい。身近な人へ、広島を訪ねてきた人へ、バトンをつなぐ人へ。分断を乗り越え、人間が人間として生きる権利を奪われぬ核なき世界を実現するために。

(2025年8月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ