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社説・コラム

天風録 『名前を読み上げる』

 アポロ11号が月面着陸を成し遂げた1969年夏、広島では原爆死没者の名簿を読み上げる声がラジオから流れていた。平和記念公園の原爆供養塔に納まりながら、引き取り手がない遺骨の名前も▲先月亡くなった元中国放送アナウンサーの世良洋子さんも、読み手の一人だった。番組で親類の名前を聞きつけ、遺骨を受け取れた中に佐伯敏子さんがいる。原爆供養塔の掃除や草取りに生涯尽くし、死没者の声なき声に耳を澄まし続けた人である▲系譜を継ぐ試みだろう。原爆供養塔に眠る約7万人のうち、判明済みの名前812人分を読み上げる集いがきょう、現地である。広島市出身で平和運動に取り組む高垣慶太さん(23)の発案だと聞く▲ただ、分厚い「壁」もある。冒頭のラジオ番組は、プライバシーの縛りが緩かった時代の産物である。警察署の倉庫で見つかった検視調書から、原爆死没者の名前を拾うこともできた。公表OKの名簿は今や限られる▲今回、高垣さんの背中を押したのは沖縄の人らしい。かの地では「平和の礎(いしじ)」に刻まれた、24万人を超す沖縄戦の戦没者名を3年前から読み上げている。一人に一つずつの、名前と命。かけがえなさを改めて思う。

(2025年8月6日朝刊掲載)

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