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父の「断腸の思い」 初めて触れた夏 広島 きょう被爆80年

 手記が残されていたなんて知らなかった。読み上げる声が震える。目にみるみる涙がたまった。北中孝枝さん(87)=広島県坂町=はこの夏、父畠山暁さん(1978年に89歳で死去)の深い悲しみに触れた。被爆死した一家の三男、隼人さん=当時(12)=への思いがしたためられていた。

 45年春、隼人さんは広島市の県立広島一中(現国泰寺高)に入学した。「食糧も不足して、子供に何一つ満足に与えてやれなかったにもかかわらず、お国の為(ため)と一日も休まずに元気に登校しておりました」。そのけなげな命を原爆に断たれた。「今思い出しても断腸の思いが致します」

 穏やかながら口数が少なかった父。戦後は隼人さんのことをほぼ語らなかった。「大事に育てたわが子を奪われるなんて。胸が裂ける思いだったでしょう」。北中さんは、秘められていた父の苦しみを思う。

 あの日、北中さんは矢野町(現安芸区)の自宅前で、原爆の「黒い雨」に遭った。市内の職場や動員先に出かけていた家族は3人。隼人さんだけが帰ってこなかった。(馬上稔子)

(2025年8月6日朝刊掲載)

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