『この人』 原爆小頭症被爆者たちの「きのこ会」の本を出版した 平尾直政(ひらおなおまさ)さん
25年8月7日
原爆小頭症被爆者や家族たちでつくる「きのこ会」の歩みと、会を支えた元中国放送記者の故秋信利彦さん(2010年に75歳で死去)の足跡を「広島のともしび」(地平社)にまとめた。妊娠初期の母胎で放射線を浴び、知的や身体に障害がある小頭症被爆者を「原爆放射線の罪を示す生き証人」と言い表す。
自らも元中国放送の映像記者。小頭症被爆者と出会ったのは取材者としてだ。1991年にドキュメンタリー番組を制作。その後も取材や親交を重ね、96年に支援者組織に加わった。
苦い体験がある。当事者の母親の葬儀場面をラジオで流した時のこと。「マスコミは一度心を許したら床の間まで土足でズカズカと上がってくる」と家族から抗議を受け、両手を突いて謝罪した。この体験から、取材者であり支援者でもある自身が原爆小頭症とどう向き合うべきかをさらに深く考えるようになった。
わが子にも重い知的障害があることを積極的に語っている。ある小頭症被爆者の父親から語られた言葉が大きい。「隠すことは愛じゃない」。身内の葬儀に出ても歓迎されないなど、あまたの苦しみを抱え生きてきた小頭症被爆者の親たち。彼らからの学びは「計り知れません」と感謝する。
大学院で社会学を学び、きのこ会の記録を残そうと書いた修士論文を基に本をまとめた。8月6日は、きのこ会が東京で開いた写真展の最終日。ギャラリートークで大学院生たちと語り合った。「私が受け取ったものを次代に引き継ぐ」。東広島市出身、広島市中区在住。(小林可奈)
(2025年8月7日朝刊掲載)
自らも元中国放送の映像記者。小頭症被爆者と出会ったのは取材者としてだ。1991年にドキュメンタリー番組を制作。その後も取材や親交を重ね、96年に支援者組織に加わった。
苦い体験がある。当事者の母親の葬儀場面をラジオで流した時のこと。「マスコミは一度心を許したら床の間まで土足でズカズカと上がってくる」と家族から抗議を受け、両手を突いて謝罪した。この体験から、取材者であり支援者でもある自身が原爆小頭症とどう向き合うべきかをさらに深く考えるようになった。
わが子にも重い知的障害があることを積極的に語っている。ある小頭症被爆者の父親から語られた言葉が大きい。「隠すことは愛じゃない」。身内の葬儀に出ても歓迎されないなど、あまたの苦しみを抱え生きてきた小頭症被爆者の親たち。彼らからの学びは「計り知れません」と感謝する。
大学院で社会学を学び、きのこ会の記録を残そうと書いた修士論文を基に本をまとめた。8月6日は、きのこ会が東京で開いた写真展の最終日。ギャラリートークで大学院生たちと語り合った。「私が受け取ったものを次代に引き継ぐ」。東広島市出身、広島市中区在住。(小林可奈)
(2025年8月7日朝刊掲載)