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もう決して、使わせない 広島原爆の日 未来へ。決意する 先人へ。約束する 8・6ドキュメント

紙芝居 英語で読み聞かせ/銅板折り鶴の技術PR

平和願う音色 響き渡る/原爆ドーム対岸 灯籠流し

0・00 広島市中区のアルバイト花岡光昭さん(78)は原爆ドームを見上げながら、この日を迎えた。父の五一さん(故人)は被爆直後、呉市から自転車で広島市に駆け付けたという。「地獄を見たんだと思う。想像を絶する苦しみが思い起こされる。祈ることしかできない」と漏らした。

同 飲食店主折田圭子さん(53)=南区=と従業員大霜幸巨さん(56)=同=は10年ほど前から仕事後に2人で原爆慰霊碑を訪ねる。被爆2世の大霜さんは「原爆で亡くなられた方に安らかに眠ってほしい」と力を込めた。

1・20 中区のアルバイト前角胡太郎さん(20)が原爆慰霊碑に深々とお辞儀。戦争を体験した祖父から「多くの若者が軍需工場に動員された」と聞いたことが胸に残る。「その言葉と戦争の恐ろしさを伝えていかないと」。固く誓った。

2・00 被爆者の中原里枝さん(81)=西区=が原爆慰霊碑に折り鶴を手向けた。「つらい思いをする人がもう出てほしくない。核兵器をなくすため、被害を全世界に知ってもらいたい」

4・00 「間もなく仕事で広島を離れる。この光景を覚えておきたい」。南区の調理師井手本将典さん(61)が原爆慰霊碑に静かに手を合わせた。

4・40 東の空が明るみ、原爆慰霊碑を訪れる人が増えてくる。

5・00 平和記念公園内への立ち入り規制が始まる。

6・00 平和記念式典参列者の入場開始。

7・30 エディオンピースウイング広島(中区)でのサッカー観戦を前に、名古屋市の小学校教諭児玉隆徳さん(44)が平和記念公園に立ち寄った。「スポーツが楽しめるのは平和だからと思う」とかみしめた。

7・40 フランス在住の大学教員フィオナ・スチュワートさん(34)が平和記念公園の木陰のベンチで休んでいた。「初めて来た広島はとても美しい街。でも80年前の出来事を決して忘れてはいけない」

7・45 平和記念公園には千羽鶴を届けに多くの人が集う。中区の会社員糸崎誠吾さん(38)は数年前に曽祖父と祖父が被爆者だと知った。「祖父から母へと受け継がれてきた平和の大切さを伝える思いをつないでいく」。言葉に熱がこもった。

7・55 相生橋で東京都の大学院生鈴木雅稀さん(23)はカメラを手にしていた。大学の研究プロジェクトの手伝いでこの日の営みを撮影する。「警備が厳しくて驚いた。静かに祈りたいという思いも、戦争反対と声を上げたくなる気持ちも分かる」と複雑な心境を吐露した。

8・00 平和記念式典が始まった。参加は120カ国・地域で過去最多。参列者数は約5万5千人。

8・35 浅口市のパート平井忠美さん(67)は、相生橋から平和記念公園を眺めていた。「青春時代に戦争を経験した両親は、どんな思いで当時を過ごしていたのだろうと考えた」

9・00 平和記念式典会場周辺の立ち入り規制解除。

9・40 原爆の子の像そば。被爆2世の中村由利江さん(74)=広島県府中町=が、ベルギー人に紙芝居「原爆の子 さだ子の願い」を英語で読み聞かせた。25年間続けている。マートゥン・ステアートさん(27)は「この場所で話を聞けて、とても良かった。来た意味があった」

9・50 開館した原爆資料館に見学者が詰めかける。地球平和監視時計は、あの日から2万9220日と、最後の核実験から449日を示す。

10・05 石破茂首相が、被爆者代表から要望を聞く会に出席。

10・50 紙屋町地下街シャレオ(中区)。被爆体験記の朗読会に高校教諭関口渉さん(25)=埼玉県ふじみ野市=が参加。10月の高校の修学旅行の下見で広島を訪れた。「被爆体験という言葉でまとめられない一人一人の物語や人生、感情がある。生徒たちには、平和学習を通して人の痛みを知ることを学んでほしい」と訴えた。

同 広島国際会議場では、市立広島工業高(南区)の生徒が銅板を曲げて折り鶴を作る技術をPR。福岡県久留米市の主婦谷口幸子さん(78)は「生徒たちによる平和を願う活動は素晴らしい」。

12・40 原爆の子の像に、千葉県市原市の平和大使の中学生7人が千羽鶴をささげた。中学2年川口晴希さん(13)は「被爆者の体験談を同級生たちに教える」。

12・45 元安川沿いに被爆ピアノの音色が響き渡った。「緊張したけれど、平和を祈りながら弾くことができた」。アルバイトの迫田光珠(みしゅ)さん(19)=南区=がコンサートの意義を強調した。

12・50 平和記念公園東側で「アオギリ平和コンサート」。三次市のコーラスグループが「アオギリのうた」「翼をください」など4曲を披露。指揮者の三待美早穂さん(64)は「歌があるところにはきっと戦争がない。音楽は世界共通。心の奥に届くはず」。切なる願いをメロディーに乗せた。

13・40 公務員吉井幸大さん(37)=香川県善通寺市=が小学生の息子2人と原爆資料館を見学。「小さい争いから国同士の大きな争いに発展することもある。友達を大切にするなど、どんなことでもいいので何か感じ取ってもらえたら」

14・19 中区で最高気温35.6度を記録し、猛暑日となる。

14・20 広島国際会議場では、基町高(中区)の生徒による被爆者の証言を絵画で表現した「原爆の絵」を34点展示。東京都の中学1年浜田幸乃さん(12)は「多くの人にとって分かりやすい形で次世代に伝えていくことは意義深い」。

同 80年前、上空で原爆がさく裂した爆心地・島病院(現島内科医院)前。東京都の会社員中垣雄太郎さん(31)が空を見上げていた。「ウクライナや中東で戦争が続き、核兵器の使用がほのめかされるような時代になった。愚かなことをしてはいけない」と語気を強めた。

14・30 広島国際会議場で、原爆で壊滅した市街地をVR(仮想現実)ゴーグルを通して疑似体験する催しがあった。東京都の中学1年三宅真湖さん(12)は「実際にその場にいる気がした。想像以上に悲惨だった」。あの日に思いをはせた。

15・00 紙屋町地下街シャレオで安田女子大文学部書道学科(安佐南区)の学生が大判紙に「祈」などとしたためた。3年上部みあさん(20)は「日本文化である書道を通じて平和への思いを受け継いでいきたい」。

16・00 紙屋町地下街シャレオであった被爆3世の家族写真展。中区のパート出張直子さん(49)は被爆者の母(86)や長女(8)と訪れ、5年前に撮影された自分たちの姿を見つめた。「2年前に亡くなった被爆者の伯父との撮影を娘が覚えていた」と喜ぶ。

16・05 「いつか核がなくなると信じている」。大竹市の美容師岡田栄子さん(74)が平和記念公園内の平和の鐘を鳴らした。

16・30 中区の市青少年センター。大竹市出身の被爆3世で、フルート奏者として活動する建築家畠中秀幸さん(56)=札幌市=が演奏を披露。午前中は近くの被爆樹木シダレヤナギの下でも奏でた。「広島にとって特別な日に慰霊の演奏ができて感動している」

16・40 広島国際会議場で、舟入高(中区)演劇部が平和劇の上演を終え、観客にあいさつ。出演した3年中山未夕さん(17)=東区=は「どうすれば平和になるか、平和とは何なのかを考えながら演技した」と振り返った。

17・45 辺りが暗くなり始めた元安川沿い。「平和になるといいな」。名古屋市から初めて広島を訪れた中学2年吉田修一郎さん(13)が原爆ドーム対岸で灯籠を手に笑顔を浮かべた。

18・50 元安川で東区の主婦正田達子さん(86)が灯籠を流した。2年前に亡くなった夫とは毎年、平和記念公園を訪れていた。「夫に会いたくなる気持ちが強まる日」とつぶやいた。

撮影・山崎亮、安部慶彦、山田尚弘、河合佑樹、大川万優

(2025年8月7日朝刊掲載)

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