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[被爆80年] 備後各地で追悼式典 二度とあの時代に戻らないよう

 米軍による広島市への原爆投下から80年となった6日、備後地域の各地でも追悼の式典が開かれた。参列者は犠牲者に思いをはせ、核兵器廃絶と恒久平和を願った。

 福山市原爆被害者友の会は、同市霞町の中央公園で慰霊式典を開き、市民たち約50人が参列。猪口武司会長(73)は追悼の言葉で「世界では戦争が各地で続き、核の使用もないとは言えない状態。核使用を必ず止め、平和な世界を絶対につくっていく」と誓った。

 この1年間で24人増え、計1584人となった死没者名簿を慰霊碑に納めた。入市被爆した姉を昨秋に亡くし、遺族代表として献花した小林信久さん(88)=同市高西町=は「原爆の被害を後世に伝える大切さを改めて痛感した」と話していた。

 三原市原爆被害者之会は、同市本町の慰霊碑前で式典を開催。被爆者や遺族たち約80人が犠牲者に黙とうをささげ、献花した。死没者名簿には14人が加わり、計699人になった。

 苞山(ほうやま)正男会長(96)はあいさつで、核兵器禁止条約を批准しない日本政府の姿勢を非難し「広島は焼け野原となり、生き地獄だった。二度とあの時代に戻らないよう、活動を続けていく」と決意を新たにした。

 尾道市東尾道の市原爆死没者慰霊碑前であった尾道地区原爆被害者の会の式典には、約130人が参列。個人や学校、団体から集まった約4万6千羽の折り鶴を供えた。被爆2世の畑山利一会長(74)は「核兵器廃絶と恒久平和に向けて先人たちがつないできた草の根の活動を続けていく」とあいさつした。

 初めて参列した被爆者の三木文恵さん(81)=同市天満町=は「爆風で家がつぶれたと親から聞いた。家族と楽しく暮らせる日常は当たり前ではない」と話していた。(浜村満大、岩崎新、前田薫奈)

(2025年8月7日朝刊掲載)

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