[被爆80年] 平和紡ぐ思い新たに 県北各地で鎮魂の祈り
25年8月7日
被爆80年を迎えた広島原爆の日の6日、県北地域も鎮魂の祈りに包まれた。犠牲者を悼み、次代を担う子どもたちも平和を紡ぐ思いを深めた。
原爆投下後に広島陸軍病院庄原分院の臨時病棟が置かれ、芸備線で多くの被爆者が運ばれた庄原市山内町。山内地区社会福祉協議会が慰霊祭を開き、遺族や住民約70人が葛城山麓の火葬場跡に立つ碑前で、息絶えた88人を追悼した。
今夏は、病棟となった山内小(旧山内西国民学校)の児童と住民が灯籠を作り碑を飾った。大田市の坂本恵津子さん(88)は、父の神在義香さん=当時(40)=をしのび「悲しみは今も癒えない」と声を振り絞った。
三次市高杉町での慰霊のつどいは、住民や子どもたち約60人が参列。会場の神杉コミュニティセンターそばの慰霊碑は6月に市が移設した。折り鶴や菊を手向け、遺族会の小田義則会長(82)は「武力による平和はない」。神杉小6年宗安明花里さん(11)は「今の平和は当たり前じゃない。感謝し学び続けたい」と誓った。同小では全校児童90人が集会を開いた。
同市三良坂町の三良坂平和公園では、住民有志約20人が「母と子―わたす像」に白菊を手向けて黙とう。三良坂中1~3年生31人も献花した。
生徒は三良坂コミュニティセンターで、被爆体験伝承者の八田聖子さん(47)=十日市中=から命の大切さや核兵器廃絶への思いを聞いた。3年田原律司さん(15)は「二度と戦争をしてはいけないと感じた。家族や知人に伝えたい」と話した。
同市中心部の十日市中の生徒約290人は、紛争や貧困にあえぐ国で平和構築の教育支援に励む非政府組織なかよし学園(千葉県)の中村雄一代表(47)の講演を聴いた。3年生が英訳した平和教材「はじめてのヒロシマ」をシリアに今夏持参し、現地の大学などで授業した中村さんは「復興した被爆地の若者の行動は希望になる」。3年藤井香緒(こお)さん(15)は「人を笑顔にできる取り組みを考えたい」と話した。
庄原市口和町の口和小5、6年生18人は原爆詩などに触れた。口和本の会の川﨑弘子さん(83)たち3人が、9歳で被爆した女性の体験を朗読。原爆詩人峠三吉の「序」なども一緒に読んだ。6年有田祥乃(よしの)さん(11)は「人を壊し、心も壊す原爆はなくなってほしい。語り継ぐことで平和に役立ちたい」と力を込めた。
(2025年8月7日朝刊掲載)
原爆投下後に広島陸軍病院庄原分院の臨時病棟が置かれ、芸備線で多くの被爆者が運ばれた庄原市山内町。山内地区社会福祉協議会が慰霊祭を開き、遺族や住民約70人が葛城山麓の火葬場跡に立つ碑前で、息絶えた88人を追悼した。
今夏は、病棟となった山内小(旧山内西国民学校)の児童と住民が灯籠を作り碑を飾った。大田市の坂本恵津子さん(88)は、父の神在義香さん=当時(40)=をしのび「悲しみは今も癒えない」と声を振り絞った。
三次市高杉町での慰霊のつどいは、住民や子どもたち約60人が参列。会場の神杉コミュニティセンターそばの慰霊碑は6月に市が移設した。折り鶴や菊を手向け、遺族会の小田義則会長(82)は「武力による平和はない」。神杉小6年宗安明花里さん(11)は「今の平和は当たり前じゃない。感謝し学び続けたい」と誓った。同小では全校児童90人が集会を開いた。
同市三良坂町の三良坂平和公園では、住民有志約20人が「母と子―わたす像」に白菊を手向けて黙とう。三良坂中1~3年生31人も献花した。
生徒は三良坂コミュニティセンターで、被爆体験伝承者の八田聖子さん(47)=十日市中=から命の大切さや核兵器廃絶への思いを聞いた。3年田原律司さん(15)は「二度と戦争をしてはいけないと感じた。家族や知人に伝えたい」と話した。
同市中心部の十日市中の生徒約290人は、紛争や貧困にあえぐ国で平和構築の教育支援に励む非政府組織なかよし学園(千葉県)の中村雄一代表(47)の講演を聴いた。3年生が英訳した平和教材「はじめてのヒロシマ」をシリアに今夏持参し、現地の大学などで授業した中村さんは「復興した被爆地の若者の行動は希望になる」。3年藤井香緒(こお)さん(15)は「人を笑顔にできる取り組みを考えたい」と話した。
庄原市口和町の口和小5、6年生18人は原爆詩などに触れた。口和本の会の川﨑弘子さん(83)たち3人が、9歳で被爆した女性の体験を朗読。原爆詩人峠三吉の「序」なども一緒に読んだ。6年有田祥乃(よしの)さん(11)は「人を壊し、心も壊す原爆はなくなってほしい。語り継ぐことで平和に役立ちたい」と力を込めた。
(2025年8月7日朝刊掲載)