×

ニュース

つなぐ決意 走るイベント開いて母の被爆体験伝えたい 中国駅伝で平和公園にゴールした岡山の吉崎さん

広島との縁胸に新たな一歩

 岡山県の遺族代表として初めて参列した吉崎修さん。1995年の中国駅伝でアンカーとしてゴールの平和記念公園(広島市中区)を目指した。61歳の誕生日でもある6日、平和記念式典の会場となった思い出の公園で被爆2世として決意を誓った。(山本真帆)

 母孝子さんは昨年、96歳で亡くなった。被爆当時は広島第一陸軍病院看護婦生徒教育隊に所属。45年8月6日は白島町(現中区)付近にあった宿舎の建物の下敷きになった。命は助かったものの故郷の浜田市に戻り、白血球の減少や発熱に苦しんだと聞く。

 吉崎さん自身も生後2カ月で肺炎や腸捻転にかかり、小学校を休みがちで「母はいつも体を心配していました」と振り返る。陸上部の教師に勧められ、長距離を始めたのは中学時代だった。中央大に進み、箱根駅伝に4度出場。2度の区間賞経験もある。

 就職で一度は陸上から離れた。しかし、諦められずNKK(現JFEスチール)に転職し、再び走り始めた。けがに苦しんでいるさなか、監督からアンカーの声がかかった。手術を控え、痛み止めを打って臨んだ大会。「沿道を埋める多くの人と声援はものすごかった」。その熱気に背中を押され、平和大通りを駆け抜けた。「広島との縁を感じた瞬間。今でも鮮明に覚えています」

 34歳で選手を引退してからも、市民ランナーとして現役だ。これから先、走ることと平和を結び付けたイベントを開きたい。そして母の被爆体験も伝えていきたい。今度はこの平和記念公園をスタート地点に。

(2025年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ