首相が代表作引用 原爆歌人の正田篠枝 救護で見聞き 惨状生々しく
25年8月7日
「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。石破茂首相は6日、出席した広島市の平和記念式典のあいさつで、原爆の惨状を詠み続けた歌人・正田篠枝(写真・1910~65年)の代表作を引用し、2度読み上げた。
この歌は平和記念公園(中区)南側にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の台座に刻まれる。怒りと悲しみを凝縮した表現から、非業の死を遂げた教師と子どもたちの無念が伝わる。
正田は広島県江田島村(現江田島市)で生まれ、戦前から短歌誌に投稿を始めた。1945年8月6日、爆心地から1・7キロの広島市平野町(現中区)の自宅で被爆。大野村(現廿日市市)に逃れてけが人の救護にあたり、見聞きした惨状を後に生々しく詠んだ。
46年短歌誌「不死鳥」に原爆歌を発表し、翌年「太き骨―」を含む歌集「さんげ」を出版。広島刑務所でひそかに150部を刷り、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲を免れたとされる。病に苦しみながら創作を続け、54年の生涯で約3千首を残した。(福田彩乃)
(2025年8月7日朝刊掲載)
この歌は平和記念公園(中区)南側にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の台座に刻まれる。怒りと悲しみを凝縮した表現から、非業の死を遂げた教師と子どもたちの無念が伝わる。
正田は広島県江田島村(現江田島市)で生まれ、戦前から短歌誌に投稿を始めた。1945年8月6日、爆心地から1・7キロの広島市平野町(現中区)の自宅で被爆。大野村(現廿日市市)に逃れてけが人の救護にあたり、見聞きした惨状を後に生々しく詠んだ。
46年短歌誌「不死鳥」に原爆歌を発表し、翌年「太き骨―」を含む歌集「さんげ」を出版。広島刑務所でひそかに150部を刷り、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲を免れたとされる。病に苦しみながら創作を続け、54年の生涯で約3千首を残した。(福田彩乃)
(2025年8月7日朝刊掲載)