×

ニュース

[ヒロシマドキュメント 1946年] 8月7日 盆踊りで犠牲者悼む

 1946年8月7日。広島市基町(現中区)の旧護国神社跡で「戦災供養盆踊り大会」が開かれた。5日から市内で開かれていた平和復興祭の関連行事の一つ。踊りを通じて原爆による犠牲者を悼み、平和を願った。

 8日付本紙では、やぐらの周りで踊る浴衣姿の人たちを写真付きで紹介。「太鼓の音に乗ってそろひの浴衣がけも涼しく鮮やかな手ぶり足どりで豪華な盆踊大会」と報じた。大会には8団体が参加。観衆も続々と詰めかけたという。

 和田孝一さん(91)=安芸高田市=も会場で声援を送った一人。2人の兄と姉が地元の広島県刈田村(現安芸高田市八千代町)の「佐々井盆踊倶楽部(くらぶ)」に所属し、出場した。約30人でトラックに乗って会場に向かった。「多くの人でにぎわっていました。でも、辺りはまだ建物も少なく、遠くまで見渡せたのを覚えています」

 45年8月6日、和田さんは自宅からきのこ雲を見た。夕方になると、広島方面からひどいやけどを負った人たちがトラックで次々と運び込まれるのも目撃した。和田さん一家にも苦難が待ち受ける。9月、家の改修工事中に父が事故死。その3日後には枕崎台風が県内を襲い、田んぼ約2ヘクタールが流された。

 戦後、再び地域を盛り上げたのは盆踊りだった。倶楽部は戦前から各地の盆踊り大会で成績を残し、名が知られていた。「大会前は毎晩のように練習に出かけていました。母も生活が大変な中、浴衣を準備して」と振り返る。

 46年8月7日の大会でも優勝。練習の拠点だった地元の明顕寺は大会で飾られた旗を保管し、披露してきた刈田音頭の継承にも努める。天清(あますが)一亮住職(78)は「優勝時の一員だった住民がうれしそうに踊りを教えていた時期もありました」と懐かしむ。

 戦災供養盆踊りは翌47年、平和祭の行事「県盆踊り大会」として現在の新天地広場を会場に開催。48、49年と続くが50年には朝鮮戦争が起き、占領軍との交渉の末に平和祭自体が中止に。大規模な盆踊りが復活するのは52年以降となる。

 46年の大会を主催した中国新聞社は2018年、「ひろしま盆ダンス」を始めた。市民や、広島を訪れた人々が平和の喜びや復興の思いを受け継ぐ催しとして、ことしは8月9、10日にひろしまゲートパーク(中区)で開く。 (山本真帆)

(2025年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ