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家族失った苦難 あふれた涙 東京の小島さん とうろう流し

「少し待ってゝ下さい そちらに行きます その時には逢(あ)う事を楽しみにしています」。被爆者の小島純也さん(85)=東京都渋谷区=は6日夕、原爆で犠牲になった家族4人への言葉をつづった灯籠を広島市中区の原爆ドーム対岸からそっと元安川に流した。あの日の惨状や孤児となった戦後の苦難を思い返し、涙があふれた。

 5歳の時に千田町(現中区)の自宅で被爆し、父と祖父、叔母を亡くした。母はすでに病死し、祖母は2年後に死去。独りになり、小学3年で引き取られた叔父と叔母には暴力や存在を否定する言葉を浴びせられた。「死んで親に会いたい」。22歳で上京するまで2度、1人でとうろう流しに参加し、両親への思いを募らせた。

 近くに住む長男浩司さん(46)の誘いでこの日、初めて家族と元安川を訪れた。80年前、負傷者や遺体で埋まっていた川には色鮮やかな灯籠が浮かんだ。「おやじが元気でいてくれたら、俺の子どもをかわいがってくれただろうな」。亡き4人の名前を記した灯籠を手に声を震わせた。

 都内に住む長女美穂さん(52)と孫勇太さん(28)も付き添った。浩司さんは「ずっと父を連れて来られず申し訳なかった。みんなで供養できてほっとしました」と父を見つめ、ほほ笑んだ。(山下美波)

(2025年8月7日朝刊掲載)

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