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「核兵器は人間がなくす」 山口県遺族代表の木下さん

 どうしても広島で祈りをささげたい―。原爆で父と兄、姉の3人を失った山口県の遺族代表、木下俊夫さん(93)=山陽小野田市=は昨夏の腰椎骨折で一時寝たきりになったが、リハビリを経て参列を果たした。「痛み、悲しみ。80年たってもよみがえる。人間がつくった核兵器。人間がなくさなければ」。7年ぶりの平和記念式典で語気を強めた。

 あの日、父清一さん(50)と兄寛さん(21)、姉ミチヱさん(18)=いずれも当時=は町内会の勤労作業で市中心部に動員された。木下さんが持つ戸籍謄本によると、父と兄は住吉橋(現中区)、姉は搬送先とみられる江波町(同)の陸軍病院分院で亡くなった。

 自らも爆心地から約2・5キロの南観音町(現西区)の自宅近くの川土手で被爆した。爆風で意識を失い、目覚めると両ふくらはぎに大やけどを負っていた。母や弟と家族を捜したが「足が痛くて痛くて」。姉の遺骨は後に手元に届いたが、父と兄は分からずじまいだ。「哀れの一言」。毎夜のように泣いた。

 封印していた被爆体験を語り始めたのは建築士を退いた60代。山口県被団協に加わり、小学校などで証言を重ねてきた。今回改めて家族の被爆死に向き合おうと、式典参列を目指してリハビリを続けてきた。

 厳しかった元憲兵の父、しっかり者の兄、泣くと顔を拭いてくれた姉…。3人の遺影を連れて臨んだ式典で、木下さんは長女の松村恵美子さん(60)=山陽小野田市=と一緒に黙とうした。「災害と違い、人間が仕掛ける核戦争は防げる。穏やかで平和な世の中をつくらんといけん」。かみ締めるように願った。(下高充生、樋口浩二)

(2025年8月7日朝刊掲載)

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