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被爆の悲しみ 知る制服 原爆資料館に女性寄贈

■記者 藤村潤平

 爆心地から約700メートルの建物内で被爆した広島県府中町の和田保子さん(78)が3日、広島市中区の原爆資料館を訪れ、あの日着ていたセーラー服を寄贈した。14歳の少女の過酷な運命を刻んだ制服を「同世代の子どもたちが、平和を考えるきっかけにしてほしい」と託した。

 襟元と袖口に青いラインが2本入ったセーラー服は肩幅約30センチ、身ごろ約40センチ。現在の中学生女子の制服と比べると一回り小さい。「こんなに小柄な子が、けがを負いながら逃げた。親も奪われ、どれだけ心細かったか」。和田さんは制服を見つめ、少女時代の自身を思いやった。同行した元同級生土井美代子さん(79)=安佐北区=もうなずいた。

 和田さんは、当時広島女子商(現広島翔洋高)の3年生。動員中に福屋百貨店(中区)7階の広島貯金支局分室で被爆した。閃光(せんこう)を感じ、気付くと床に倒れていた。背中に刺さったガラス片を抜き、階段を駆け下りた。たどり着いた泉邸(中区の縮景園)で黒い雨に打たれた。爆心約1キロの自宅にいた母や姉は、7日までに亡くなった。

 父は既に病死しており、戦後は別の姉や土井さんの家を転々とした。その間も制服を手放すことはなかった。「いつか伝えなくては」との思いがあった。21歳で結婚し、1男2女に恵まれた。人前で被爆体験を話すことはなかったが、子どもや孫、県外から訪れたその友達には、制服を取り出して語った。

 ガラス片が突き刺さった長さ3センチの穴、雨に打たれて黒ずんだしみ…。目に見えるものだけではない。炎熱に追われ逃げた汗も、被爆死した母や姉を思って流した涙もすべて吸い込んでいる。「少女が受け入れた運命の証し。孫も成人し、伝えるべき人には伝えた。今度は多くの人に見てもらいたい」と願う。

(2009年8月4日朝刊掲載)

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