山口の被爆者・被爆2世 80年 <上> 小笠原貞雄さん(98)=山口市
25年8月5日
80年前の夏、米軍が広島市と長崎市に原爆を投下し、多くの命が奪われた。生き残った被爆者は今も心身に傷を負って暮らしている。山口県内の被爆者健康手帳の所持者は6月末時点で1334人で、人口比では全国で3番目に多い。世界で今も争いが絶えぬ中、山口の被爆者は80年前をどう振り返り、何を願うのか。訪ねて聞いた。(鈴木愛理)
「名前も分からん人たちをようけ焼いた。ひどいことをしたもんです」。山口市の小笠原貞雄さん(98)は、18歳の時に広島市で入市被爆した。今でも遺体を焼いたときの光景と臭いが忘れられないという。
広島市皆実町(現南区)出身。陸軍被服支廠(ししょう)でミシン修理の仕事をし、1945年8月5日から三次市へ出張に行っていた。7日に広島市に戻ると、多くの人が道ばたで大けがを負って苦しみ、亡くなっていた。「『助けて』としがみつかれた。死人を見るのは初めてで怖かった」
被服支廠では遺体の焼却に当たった。初めは頭の向きをそろえて遺体を置いていたが、次第に腐ってハエが湧いた。作業のように次々と焼いた。4日ほどで約200人分に上った。「『焼けるの見とれ』と言われたが、気持ちのいいもんじゃないし臭いも立ち込めるし」。目をそらしてしまった後悔が今も残る。
戦後すぐ、姉が嫁いだ山口市に移り、遠い親戚に当たる桑原大内塗・大内人形製作所で働き始めた。店主の一人娘と結婚する前、自身が被爆し、年も若かったため反対された。街でも「原爆の生き残りだ」などとうわさされた。それでも両親を養うため、昼は縫製工場で働き、夜は妻に教わって大内人形を作った。
1950年ごろ、義父の後を継いで店主となった。60年前後には大内人形を雪だるま形から色を塗りやすい現在のおむすび形に変えた。顔は目尻を上げず、なだらかに描いた。「平和への思いを込めて優しい表情にした。見た人にほほ笑みかけてくれるように」との思いだ。78年間作り続け、2年前に息子と娘に引き継いだ。
戦後80年を迎えた今でも「8月6日が来るたび、あの日の記憶がよみがえる。8時15分になると東を向き目を閉じる」。広島市の平和記念公園を訪れる際は、当時焼いた多くの人が眠っているかもしれないと、まず原爆供養塔から手を合わせる。
世界では今も戦争、紛争が続く。核兵器使用が危ぶまれる現状に「怖いですよ。今の核兵器は広島の原爆の数十倍の威力で、使ったら大ごと。造ることをせんかったら使うこともない」と廃絶を願う。「子や孫をああいう目に遭わせたくない。二度と使われることがないよう被爆者の声に耳を傾け、残された記録で学んでほしい」
(2025年8月5日朝刊掲載)
大内人形 平和願い制作 200人の遺体焼く 光景今も
「名前も分からん人たちをようけ焼いた。ひどいことをしたもんです」。山口市の小笠原貞雄さん(98)は、18歳の時に広島市で入市被爆した。今でも遺体を焼いたときの光景と臭いが忘れられないという。
広島市皆実町(現南区)出身。陸軍被服支廠(ししょう)でミシン修理の仕事をし、1945年8月5日から三次市へ出張に行っていた。7日に広島市に戻ると、多くの人が道ばたで大けがを負って苦しみ、亡くなっていた。「『助けて』としがみつかれた。死人を見るのは初めてで怖かった」
被服支廠では遺体の焼却に当たった。初めは頭の向きをそろえて遺体を置いていたが、次第に腐ってハエが湧いた。作業のように次々と焼いた。4日ほどで約200人分に上った。「『焼けるの見とれ』と言われたが、気持ちのいいもんじゃないし臭いも立ち込めるし」。目をそらしてしまった後悔が今も残る。
戦後すぐ、姉が嫁いだ山口市に移り、遠い親戚に当たる桑原大内塗・大内人形製作所で働き始めた。店主の一人娘と結婚する前、自身が被爆し、年も若かったため反対された。街でも「原爆の生き残りだ」などとうわさされた。それでも両親を養うため、昼は縫製工場で働き、夜は妻に教わって大内人形を作った。
1950年ごろ、義父の後を継いで店主となった。60年前後には大内人形を雪だるま形から色を塗りやすい現在のおむすび形に変えた。顔は目尻を上げず、なだらかに描いた。「平和への思いを込めて優しい表情にした。見た人にほほ笑みかけてくれるように」との思いだ。78年間作り続け、2年前に息子と娘に引き継いだ。
戦後80年を迎えた今でも「8月6日が来るたび、あの日の記憶がよみがえる。8時15分になると東を向き目を閉じる」。広島市の平和記念公園を訪れる際は、当時焼いた多くの人が眠っているかもしれないと、まず原爆供養塔から手を合わせる。
世界では今も戦争、紛争が続く。核兵器使用が危ぶまれる現状に「怖いですよ。今の核兵器は広島の原爆の数十倍の威力で、使ったら大ごと。造ることをせんかったら使うこともない」と廃絶を願う。「子や孫をああいう目に遭わせたくない。二度と使われることがないよう被爆者の声に耳を傾け、残された記録で学んでほしい」
(2025年8月5日朝刊掲載)