緑地帯 中沢啓治 「はだしのゲン」と私③ 奇妙な自己規制
25年8月8日
私は、短編を1作完成するのに約1カ月要し自分ながら遅いと悩む。だが被爆した青年の殺し屋が、銃器密売のアメリカ人を原爆の怨念を込めて殺していく「黒い雨にうたれて」という、原爆をテーマに据えた第1作は、私の心情をぶち込んで2週間で完成した。
この作品では、自分の言いたいことは、すべて言った気持ちだった。漫画しか描けない私には自分の作品で原爆の怨(うら)みを吐き出すしかないと思った。そして、無責任な言葉を投げかけるやつらに少しでも認識させてやりたい思い上がった考えを持った。
作品は大手出版の高校生中心の雑誌に発表したかった。作品を読んだ編集者は、すぐに掲載すると言ってくれ、あっけなく決まったので拍子抜けした気持ちとうれしさで小躍りして帰り、後日の約束日に出向くと、あっけなく断られた。どんな理由でだめになったか聞いてみたが、何も答えてくれなかった。
失意で帰り、作品はなんとしても発表したくて、各出版社を歩き回った。大手の出版社にはすべて断られた。そして、エロ、グロと称される俗悪誌の青年雑誌に持ち込んでみた。机のすみでほこりをかぶり埋もれてしまうよりは、どんな場所でもいいと考えた。
H編集長は掲載を引き受けてくれ、そしてCIAに捕まっても作品を発表させると言った。私は、あ然とした。CIAだなぞとスパイ映画みたいな唐突なことを言われ、理解できなかった。後でわかったが、出版界にも圧力があり、原爆をテーマにしたり政治的な内容が含まれていると自己規制していることを知った。だから私の作品は問題を含んでいて断られるのは当然だったのだ。
とにかく第1作は、発表の場を得た。私はH編集長に出会わなかったら原爆をテーマにした漫画は二度と描いていなかった。私は、編集長に絶対に表紙の中に原爆と言う文字が入ったサブタイトルは入れないでくれとたのんだ。「黒い雨にうたれて」はハードボイルド調の娯楽漫画として読ませたかった。初めから原爆という文字を見せて読者に残酷さと嫌悪感を抱かせたくなく、寝ころがって読んでいるうちに、原爆の事実が物語の展開する中でくみ取ってもらえたら一番良い方法だと思った。私は、発表後、不安と期待を持って待った。 (漫画家)
被爆80年にちなみ、1976年に掲載した中沢さんの「緑地帯」を再掲します。表現は掲載時のままにしています。
(2025年8月8日朝刊掲載)
この作品では、自分の言いたいことは、すべて言った気持ちだった。漫画しか描けない私には自分の作品で原爆の怨(うら)みを吐き出すしかないと思った。そして、無責任な言葉を投げかけるやつらに少しでも認識させてやりたい思い上がった考えを持った。
作品は大手出版の高校生中心の雑誌に発表したかった。作品を読んだ編集者は、すぐに掲載すると言ってくれ、あっけなく決まったので拍子抜けした気持ちとうれしさで小躍りして帰り、後日の約束日に出向くと、あっけなく断られた。どんな理由でだめになったか聞いてみたが、何も答えてくれなかった。
失意で帰り、作品はなんとしても発表したくて、各出版社を歩き回った。大手の出版社にはすべて断られた。そして、エロ、グロと称される俗悪誌の青年雑誌に持ち込んでみた。机のすみでほこりをかぶり埋もれてしまうよりは、どんな場所でもいいと考えた。
H編集長は掲載を引き受けてくれ、そしてCIAに捕まっても作品を発表させると言った。私は、あ然とした。CIAだなぞとスパイ映画みたいな唐突なことを言われ、理解できなかった。後でわかったが、出版界にも圧力があり、原爆をテーマにしたり政治的な内容が含まれていると自己規制していることを知った。だから私の作品は問題を含んでいて断られるのは当然だったのだ。
とにかく第1作は、発表の場を得た。私はH編集長に出会わなかったら原爆をテーマにした漫画は二度と描いていなかった。私は、編集長に絶対に表紙の中に原爆と言う文字が入ったサブタイトルは入れないでくれとたのんだ。「黒い雨にうたれて」はハードボイルド調の娯楽漫画として読ませたかった。初めから原爆という文字を見せて読者に残酷さと嫌悪感を抱かせたくなく、寝ころがって読んでいるうちに、原爆の事実が物語の展開する中でくみ取ってもらえたら一番良い方法だと思った。私は、発表後、不安と期待を持って待った。 (漫画家)
被爆80年にちなみ、1976年に掲載した中沢さんの「緑地帯」を再掲します。表現は掲載時のままにしています。
(2025年8月8日朝刊掲載)