『書評』 日本海軍 失敗の本質 戸高一成著 「負け方」を知らぬ悲劇
25年8月17日
80年前の敗戦。日清、日露の戦争に勝利した近代日本が初めて経験した試練だった。「そういう国は『負ける』という選択肢を考える意識が欠けていく」と大和ミュージアム館長の著者は記す。
負け方を知らなかった日本。では次の戦争では勝とうというのか。そうではなく、太平洋戦争を「最後の戦争」とするために、この戦争を教科書として真剣に向き合う。これが著者の真意だと、まず明らかにしておく。
本書は真珠湾奇襲から始まり、セイロン沖、珊瑚(さんご)海、ミッドウェー、ルンガ沖、マリアナ沖、レイテ沖の六つの海戦に触れ、沖縄特攻で締めくくる。山本五十六ら3人の海軍司令官の小伝も交えた。このうち敗戦の転機となったのが何といってもミッドウェー海戦(1942年6月)である。
海軍は赤城など空母4隻を失う。大きな艦隊の全滅に匹敵するが、実は勝利を前提にした作戦であり、機動部隊の後続に本当は不要な砲戦部隊を出動させていた。「勝つ戦いに俺たちも…」という空気に配慮したというから驚く。燃料不足を訴える潜水艦部隊に対し、「作戦終了後のミッドウェー島で補給せよ」などと司令部が命じたのも浮ついていた証しだろう。
それ以上に決定的な失敗は、ミッドウェー島攻略と米空母撃滅のいずれが主目的なのか、二転三転したことだと著者は指摘する。実際に攻撃機は爆装と雷装を無駄に繰り返し、現場は混乱した。さらに軍令部総長が空母沈没を「2隻」だと昭和天皇に虚偽の奏上をした可能性もある。これでは教訓につながるまい。
海軍は戦艦大和の沖縄特攻で命脈尽きた。「竣工(しゅんこう)までの大和は合格点。使い方は残念ながら落第点」と著者。海軍の作戦命令の在り方をゆがめてまで実行した沖縄特攻だったが、経緯についてなお検証すべきだという。
マリアナ沖海戦(44年6月)の直後なら終戦へ動いて原爆投下を回避できた可能性があった―。著者はこうも考える。日本海軍失敗の検証はヒロシマにとっても重い課題だといえよう。 (佐田尾信作・客員編集委員)
PHP新書・1100円
(2025年8月17日朝刊掲載)
負け方を知らなかった日本。では次の戦争では勝とうというのか。そうではなく、太平洋戦争を「最後の戦争」とするために、この戦争を教科書として真剣に向き合う。これが著者の真意だと、まず明らかにしておく。
本書は真珠湾奇襲から始まり、セイロン沖、珊瑚(さんご)海、ミッドウェー、ルンガ沖、マリアナ沖、レイテ沖の六つの海戦に触れ、沖縄特攻で締めくくる。山本五十六ら3人の海軍司令官の小伝も交えた。このうち敗戦の転機となったのが何といってもミッドウェー海戦(1942年6月)である。
海軍は赤城など空母4隻を失う。大きな艦隊の全滅に匹敵するが、実は勝利を前提にした作戦であり、機動部隊の後続に本当は不要な砲戦部隊を出動させていた。「勝つ戦いに俺たちも…」という空気に配慮したというから驚く。燃料不足を訴える潜水艦部隊に対し、「作戦終了後のミッドウェー島で補給せよ」などと司令部が命じたのも浮ついていた証しだろう。
それ以上に決定的な失敗は、ミッドウェー島攻略と米空母撃滅のいずれが主目的なのか、二転三転したことだと著者は指摘する。実際に攻撃機は爆装と雷装を無駄に繰り返し、現場は混乱した。さらに軍令部総長が空母沈没を「2隻」だと昭和天皇に虚偽の奏上をした可能性もある。これでは教訓につながるまい。
海軍は戦艦大和の沖縄特攻で命脈尽きた。「竣工(しゅんこう)までの大和は合格点。使い方は残念ながら落第点」と著者。海軍の作戦命令の在り方をゆがめてまで実行した沖縄特攻だったが、経緯についてなお検証すべきだという。
マリアナ沖海戦(44年6月)の直後なら終戦へ動いて原爆投下を回避できた可能性があった―。著者はこうも考える。日本海軍失敗の検証はヒロシマにとっても重い課題だといえよう。 (佐田尾信作・客員編集委員)
PHP新書・1100円
(2025年8月17日朝刊掲載)