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社説・コラム

社説 終戦80年 「戦後」を守り続けなければ

 先の大戦が終わってから80年をきのう迎えた。終戦の日に生まれた人が日本人の平均寿命近くに達するほど、長い年月を刻んだことになる。広島、長崎への原爆投下や沖縄戦を含め、310万人に上る犠牲者を改めて悼みたい。

 東京都内であった全国戦没者追悼式には、中国地方から273人の遺族が参列した。戦争のない世界を望むとともに、「穏やかに暮らせる今に感謝したい」といった声が聞かれた。

 私たちはこれからも不戦を貫き、「戦後」を守り続けなければならない。それには歴史に謙虚に向き合う姿勢が欠かせない。

 石破茂首相は追悼式の式辞で、その一端を見せた。「進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」と述べた。

 「反省」という言葉を復活させたのは13年ぶりだ。2013年の安倍晋三氏以降に消え、菅義偉、岸田文雄両氏も言及しなかった。

 首相は日韓関係などを語る時、信頼関係を構築するには歴史認識が重要と、かねて強調してきた。式辞にも強い思いがあったのだろう。石破カラーを反映させた点は、一定に評価したい。

 ただ、アジア諸国への加害責任に言及しなかったのは安倍氏以降の3首相と同じだ。何について反省するのかは、はっきりさせなかった。報道陣にも「反省の上に教訓がある。戦争を二度と行わないため反省と教訓を改めて胸に刻む必要がある」と述べただけだ。残念である。

 80年を経ても、アジアの人々とはいまだにきちんと和解がなされたとは言い難い。侵略と植民地化という負の遺産が横たわるからだ。首相は戦後80年談話の閣議決定は見送るものの、先の大戦の検証などを巡る見解の表明に意欲を示す。加害の過去を受け止め、国内外に納得と共感が広がる内容を求めたい。

 歴史と誠実に向き合うことは政治の出発点のはずだ。過去から学べない人は、同じ過ちを繰り返す。それなのに、政治家が歴史を軽んじ、都合よくねじ曲げようとする風潮が強まっているように思えてならない。

 海外を見渡しても国家や指導者の欲望を満たすために、国民をあおったり説得したりする道具のように歴史が使われている。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃で分かるように、勝手な「正義」を掲げて仕掛けた戦争は、なかなか終わらない。

 井伏鱒二は小説「黒い雨」に「いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」と書いた。深い悲しみと強い戦争拒絶の表れだろう。

 こういった思いをしっかり引き継ぎ、不戦の誓いを新たにすることが、戦争を知らない世代が増えるにつれてますます大事になる。過去と今、未来はつながっている。歴史に理解を深めてこそ各国と手を取り合うことができる。終戦80年の節目に、「戦後」は不断の努力で守っていくものであることを再認識したい。

(2025年8月16日朝刊掲載)

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