×

ニュース

三原出身の故砂本三郎さん 2度の従軍体験を絵日記に 戦場の死 「現実」写す130枚 戦後80年の今夏出版

 死、死、そして死。130枚のスケッチが、戦争に青春を散らした日本兵たちの最期を写し出す。三原市出身の砂本三郎さん(1997年、79歳で死去)が「鎮魂」と題して残した絵日記が戦後80年の今夏、「無名兵士の戦場スケッチブック」として出版された。(木原由維)

 砂本さんは20代で日中戦争、太平洋戦争と2度従軍した。戦後はサラリーマン生活を送り、56歳で脳梗塞を発症。左半身にまひが残る中、写経と静物画を独学で始めた。画風は子どもの絵のように素朴な一方、「伝えなければ」という切実さがある。

 激戦の中国戦線が舞台の第一部。すぐ目の前の兵士や民間人にいきなり弾丸が飛んできて人生が終わっていく「日常」を描く。初めて戦友の死を直視したスケッチには「岡崎」「橋本」と一人一人の名を記し、「腹部貫通のた打ち廻(まわ)る」「顔色は青黒」と最期の瞬間まで克明につづる。捕虜の拷問や殺害など日本軍の加害も捉え、血肉を描く赤い絵の具に戦争の不条理への怒りがこもる。

 中部太平洋ウェーク島の戦場を描く第二部は、食糧不足による飢餓が主題。「いろはカルタ」風に、自らの作句に人物画を添えた。砂本さん本人とみられる兵士は痩せ細り、あばら骨が浮き出ている。「〓(〓は○の中に「ほ」) 骨と皮 弾丸も兵器も 持てぬなり」

 晩年を共に過ごした息子の弘行さん(73)=東京都=は「父は口癖のように『生きているんじゃなく、生かされているんだ』と繰り返していた」と振り返る。

 戦争を巡る記録映画や著書を多く持つ映像ディレクターの渡辺考さん(58)=那覇市=が解説を執筆。砂本さんが生まれた三原市を訪ね、東京の遺族や歴史学者にも取材を重ねて足跡を掘り起こした。「戦争の現実を一兵卒の視点で描いた、ほかに類を見ない記録。飢えと恐怖で理性を失っていく兵士たちの姿から目を背けてはいけない」と語る。筑摩書房、3080円。

  --------------------

女優秋吉久美子さん 出版に奔走した思い語る

衝撃で涙湧いた。体験継承の一歩に

 砂本さんの死去から四半世紀、遺族の元で眠っていたスケッチブックを「世に出さないといけない」と奔走したのは、女優の秋吉久美子さんだった。数年前、遺族とその友人たちが回覧していたスケッチを偶然目にし、旧知の編集者に強く出版を薦めた。秋吉さんに思いを語ってもらった。(聞き手は木原由維)

 行きつけの店で、回覧の場に居合わせた。最初に見た時、衝撃で動けなくなり、涙が湧き上がってきた。すぐ隣で人が死に、泣き叫ぶ人をそのままに隊列が進んでいく。当時の戦地に連れて行かれたような感覚を覚えた。

 尋常小学校を卒業後に戦地に送られた砂本さんは、絵も字も巧みというわけではない。ただ本人が目撃した事実をありのまま描いた。一人一人の特徴をよくつかみ、一生懸命な筆遣いに執念が宿る。理屈や論理を突き抜けた表現だと感じる。

 砂本さんが上官の命令を裏切り、捕虜の少年を逃がした絵がある。人命だけでなく感情も奪う戦争を体験しても、人を思う心を忘れなかったことが分かる。戦友の顔を描く時、その一人一人を思い出し、痛みとともに必死に描いたのだろう。

 今、ウクライナやガザを見る時、遠い出来事として捉えていないだろうか。スケッチは現実で、砂本さんのような兵士は無数にいた。今日を生きる私たちのこととして受け止めないといけない。

 初めて原爆ドームを訪れた時、「皆に見てもらいたい」と感じた。同じように、この本をまずは手に取り、めくってほしい。それぞれの感性で向き合ってもらえればいい。継承への一歩につながるよう、心から願う。

(2025年8月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ