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社説・コラム

社説 終戦の日 反省と不戦の決意 示さねば

 中沢啓治さんの自伝的漫画「はだしのゲン」で、8月15日の被爆地広島は、敗戦を知ったゲンの母君枝の恨みの言葉で描かれる。

 〈戦争にまけるとわかったなら/なぜもうすこしはやく戦争をやめてくれなかったのかね〉〈ほんとうに戦争ほどばからしいものはないよ/ばかをみたよ/あたしらが〉

 国民に何の断りもなく戦争を始めた怒り、家族や愛する人を奪われた悲しみがこもる言葉だ。米国の原爆投下から9日後の広島では、生き延びた命も、放射線の後障害で次々と消えていった。

 一方で広島は大陸や南方へ兵隊を送り出し、物資を供給する最前線だった。どれだけの人が戦地に送られ、殺し合いをし、命を散らしたか。終戦80年の節目に不戦と核兵器廃絶の誓いを新たにしたい。

 はだしのゲンを石破茂首相は「10年以内に問題意識を持って全巻読んだ」と言う。どう受け止めたのか。その首相が国会質疑で複数回取り上げた愛読書に、猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」がある。

 日米開戦目前の1941年夏、「日本必敗」と予測した実在の内閣直轄機関・総力戦研究所を描く。だが研究所の予測は葬り去られる。首相は「なぜあの戦争に至り、なぜ途中で止められなかったかの検証は、今を逃してはできない」と、戦後80年に合わせた見解表明に意欲を示す。

 あの戦争とは太平洋戦争だけではあるまい。開戦前の日米交渉の焦点は日本軍の中国からの撤退だった。拒否した日本は米国の対日禁輸措置で行き詰まり、無謀な戦いに突き進んだ。太平洋戦争が植民地支配と侵略の延長線上にあることを忘れてはならない。

 戦後50年に村山富市首相は、植民地支配と侵略に「痛切な反省と心からのおわび」を表明。60年の小泉純一郎首相も踏襲した。70年の安倍晋三首相は「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」としながら、侵略の主体が明確ではなく、植民地支配も歴史的事実の中で語られただけだった。

 節目節目に反省と不戦の決意を内外に示す意義は大きい。戦後80年も、終戦の日に談話として閣議決定するのが筋だ。戦没者を追悼し、不戦を誓う日として定着している。安倍談話で曖昧にされた部分を埋める必要もあろう。

 これに対し、自民党の保守派は、安倍談話で加害の「謝罪外交」に区切りがついたとして新たな談話や見解に反対する。だが、過ちを忘れぬ誓いを新たにすることが「謝罪外交」なのだろうか。

 歴史修正主義や右傾化の風潮は拡大している。自民党議員が沖縄戦の「ひめゆりの塔」の展示を「歴史の書き換え」と発言、「核武装は安上がり」と語る議員も現れた。

 首相側は準備不足もあり、「石破おろし」の動きも見極めながら首相個人の見解として発出を探る。だが政局ベースで語るべきではない。

 首相が誰であろうと、政府として戦後80年の節目に戦争を総括し、教訓にどう向き合うかを示すべきだ。政権延命や選挙の顔のすげ替えより大事な政治の使命ではないか。

(2025年8月15日朝刊掲載)

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