『潮流』 非当事者の「爆心」
25年8月14日
													■報道センター文化担当部長 道面雅量
行き先表示に「爆心へ」と掲げたバスが被爆80年の夏、広島に着いた。「核」を巡る表現活動を国内外で続けるアーティストたちが、広島・長崎・東京をそのバスで巡り、展示や討論、車内からのウェブ配信などを重ねるアートプロジェクトの一環。先日、広島市内であったシンポジウムには、主要メンバー5人がウェブ参加を含めて顔をそろえた。
メンバーは、爆心を「人間だけでなくすべての生命に対する残虐行為の中心」と定義し、ヒロシマ、ナガサキに限らない視野を前提としている。ある「爆心」を認めながら他の「爆心」を否定することで、暴力を正当化したり、苦しみを階層化したりする、あらゆる言説を拒絶するとうたう。
メンバーの一人、写真の古典技法を駆使した表現で知られる新井卓(たかし)さんは、シンポの参加者から爆心の意味を重ねて問われた。新井さんはまず、画家の丸木位里・俊夫妻による小さな絵本「ピカドン」の一節を引いた。「爆心地の話をつたえてくれる人は、いません」―。原爆のすさまじい殺傷力を表す言葉だが、それにこう続けた。
「爆心地の当事者は、実はすべて死者なのではないか。とすれば生きている私たちは、すべてグラデーション(濃淡)を帯びた非当事者なのではないか」。今を生きる非当事者として「爆心」へ向かい、表現する意志を語った。
抽象的な言葉遊びのようでもあるが、いや、そうではないと思い直した。被爆を体験した「当事者」がいなくなりつつある今や、ホロコーストを記憶する「当事者」の国が殺りくをやめない今。被爆80年の時空に響く、とても具体的な励ましや戒めに感じた。
(2025年8月14日朝刊掲載)
                        
                    
		
                    
                行き先表示に「爆心へ」と掲げたバスが被爆80年の夏、広島に着いた。「核」を巡る表現活動を国内外で続けるアーティストたちが、広島・長崎・東京をそのバスで巡り、展示や討論、車内からのウェブ配信などを重ねるアートプロジェクトの一環。先日、広島市内であったシンポジウムには、主要メンバー5人がウェブ参加を含めて顔をそろえた。
メンバーは、爆心を「人間だけでなくすべての生命に対する残虐行為の中心」と定義し、ヒロシマ、ナガサキに限らない視野を前提としている。ある「爆心」を認めながら他の「爆心」を否定することで、暴力を正当化したり、苦しみを階層化したりする、あらゆる言説を拒絶するとうたう。
メンバーの一人、写真の古典技法を駆使した表現で知られる新井卓(たかし)さんは、シンポの参加者から爆心の意味を重ねて問われた。新井さんはまず、画家の丸木位里・俊夫妻による小さな絵本「ピカドン」の一節を引いた。「爆心地の話をつたえてくれる人は、いません」―。原爆のすさまじい殺傷力を表す言葉だが、それにこう続けた。
「爆心地の当事者は、実はすべて死者なのではないか。とすれば生きている私たちは、すべてグラデーション(濃淡)を帯びた非当事者なのではないか」。今を生きる非当事者として「爆心」へ向かい、表現する意志を語った。
抽象的な言葉遊びのようでもあるが、いや、そうではないと思い直した。被爆を体験した「当事者」がいなくなりつつある今や、ホロコーストを記憶する「当事者」の国が殺りくをやめない今。被爆80年の時空に響く、とても具体的な励ましや戒めに感じた。
(2025年8月14日朝刊掲載)








