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[被爆80年] 大野陸軍病院の悲劇知って 原爆投下の翌月 枕崎台風で156人犠牲

廿日市で写真展やシンポ 節目に継承の動き

 1945年9月に枕崎台風による土石流で破壊された大野陸軍病院(現廿日市市)の悲劇を振り返る写真展やシンポジウムが同市内で相次いでいる。被爆者や看護師、原爆被害の調査に訪れていた京都大の関係者計156人が犠牲となった痛ましい出来事。80年の節目に合わせて記憶をつなぐ。(八百村耕平)

 同病院が土石流に遭ったのは9月17日午後10時20分ごろ。病棟が崩壊し、原爆で負傷した患者132人、病院職員13人、京都大医学部と理学部の調査班の11人が亡くなった。病院があった宮浜温泉の米山広場には供養塔があり、「慰霊の集い」が毎年9月に開かれる。

 はつかいち美術ギャラリーでは、京都大大学文書館所蔵の写真など計20枚のパネルを展示。押しつぶされた建物や濁流が押し寄せた部屋、埋没した車などが惨状を伝える。被災前の病棟の姿や調査班員の写真もある。当時の看護師が体験を語った2009年の講演会の原稿も紹介している。

 ギャラリーが大野歴史ガイドの会の協力で初めて企画した。担当の塩見昌子さん(48)は「原爆被害に遭っても懸命に生きようとした人、救おうとした人の尊い命が一夜にして奪われたことを知ってほしい」と話す。入場無料。8月17日まで。

 はつかいち市民図書館は病院の写真9枚と関連図書を並べるコーナーを27日まで設置する。児玉英子館長は「80年が経過して市内でも知らない人は多いと思う。継承は図書館の役割の一つ」と力を込める。大野図書館も29日から枕崎台風の被害を伝えるパネル展を企画している。

 市などは、原爆投下直後の広島地方気象台員の奮闘を描いたノンフィクション「空白の天気図」の著者柳田邦男氏を招いたシンポジウムを9月14日午後1時に文化ホールウッドワンさくらぴあで開く。原爆と枕崎台風の二重の災禍に見舞われた80年前に思いを寄せる。

(2025年8月14日朝刊掲載)

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