×

連載・特集

緑地帯 中沢啓治 「はだしのゲン」と私⑤ 若い読者の手紙

 漫画は読むのは簡単だが、描き手の方は一作、一作が真剣勝負で、手を抜く描き方をすれば、たちまち見破られ、読者は本当に怖い存在だ。特に時代物や戦争を舞台にした場合、服装はもとより銃器、戦車、飛行機などは正面、側面などの三面図を調べ年式から歴史と膨大な資料が必要となってくる。

 どうしてもわからない時は東京・神田の本屋街を探し回り、国会図書館にも出かけ数日をむだにする。画面には出ないが、知らないと絵に表現されないのだ。どんな漫画家も陣痛の苦しみを味わって描き出している。

 そんな負担のうえに原爆という重苦しいテーマは、二重の苦しみで、被爆場面を描いていると臭気まで思い出し、自分の逃げた足跡を追い続けると惨状が鮮明に浮かび上がり、逃げ場のない暗い穴の中にとじ込められた気持ちになって、なんでこんな思いをして描かなくてはならないんだと、自分に腹が立って逃げ出したことが何回もあった。

 だが、読者から描けと励ましの手紙を多くもらうと不思議に気持ちが、ふっ切れ、N編集長に、漫画では私だけが描けるのだと励まされると、単純な私は、ムラムラと描く気になって、月刊誌、週刊誌と少年向けに10編近く読み切りを描いた。

 1作、原爆をテーマにした作品が完成すると、次はかならず娯楽物を描かせてくれとたのみ、交互に気持ちの転換を図った。私の作品の読者は細部にわたって目を向け、私の意図するところを驚くほど的確に捕え、原爆の本質を見抜いた手紙をもらうと、感激して泣いたことも多々あった。

 そして、漫画を描く喜びを本当に感じる。評論家の言う言葉は私には眼中になく、読者の素直な手紙には飾りのない厳しい真実の声があって私の心を打つ。今の青少年はだめだと大人は言うが、私のところに来ている何百通の手紙を読めば、そんな意見は簡単に言えない。伝え方しだいで彼らは真剣に考える。

 ある雑誌社から各漫画家の自叙伝を短編で描く企画が出され、私に1番手として注文された。私は、自分のことを描く恥さらしなまねは出来ないと断ったが、説得に負けて引き受けてしまい「おれは見た」のタイトルで、戦中から現在までの生い立ちを描いた。ある読者からは私が被爆をしていたことを知り、売名行為で描いていると思っていたことをわびる手紙をもらい、複雑な気持ちになった。その自叙伝を基に長期の連載をN編集長に勧められ、「はだしのゲン」の発表となった。(漫画家)

 被爆80年にちなみ、1976年に掲載した中沢さんの「緑地帯」を再掲します。表現は掲載時のままにしています。

(2025年8月13日朝刊掲載)

年別アーカイブ