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崇徳高新聞部 「平和」取材に力 被爆80年で特集号 縁起を意識 「今できること」探る

 浄土真宗本願寺派の宗門校、崇徳高(広島市西区)の新聞部は今年、校内新聞で被爆80年を特集した。記憶の継承が課題となる今、部員たちは原爆と平和に関する取材に挑む縁について考えを深め、「今の自分たちにできること」を追求している。(城戸良彰)

 同部は全国で最多規模の187人の部員を抱える。7月には全国高校総合文化祭で5年連続となる最優秀賞に輝いた。被爆80年の今年は、学期ごとに発行する「本紙」と別にA3判16ページの特集号を作った。

 4月下旬、広島県北広島町の国道261号沿いを歩く部員たちの姿があった。2、3年生8人はこの日、早朝にJR可部線あき亀山駅(広島市安佐北区)を出発。千代田高(北広島町)を目標に、約27キロの道のりを8時間かけてたどった。

 被爆者の村上啓子さん(88)=茨城県牛久市=の避難路を追体験する試みだった。村上さんは爆心地から約1・7キロ、現在の広島市中区白島九軒町にあった自宅で被爆。家族は皆一命を取り留めたが、村上さんは数日後、親元を離れて祖父母宅へ弟と避難することとなり、約40キロの道をはだしで歩いた。

 村上さんとは、筑波大(茨城県)に進学した元部員を通じて縁がつながり、昨年9月に現役部員が取材。部長の3年柚川花菜さん(17)は「『あなたたちに想像できる?』と繰り返し問われたのが印象的だった」と振り返る。被爆の歴史を「自分ごと」として感じるためにも―と追体験を発案し、10月と今年4月の2回に分けて実施した。

 参加した2年宮本桜さん(17)は「舗装路でもつらい。平和な日常のありがたみを感じた」と話す。柚川さんはコラム「記者の目」で「想像する努力を怠ってはならない」と強調。被爆者の声を辛うじてじかに聞ける世代として、「(記憶を次世代に伝える)使命を強く感じた」とまとめた。

 追体験企画のほか、放射線影響研究所(放影研、広島市南区)の歴史と展望、60年前と今の広島に暮らす高校生の意識調査の比較など、多彩な切り口で被爆80年に向き合っている。特集号は今月6日、併設の中学校を含む全校生徒約1400人に配った。

 部員たちは今回、宗教の授業などで学んだ「縁起」を意識したという。全てのものはつながり、支え合う中で存在するとの教えだ。柚川さんは「さまざまな平和活動の積み重ねの上に私たちがいる。今を生きているという縁を大切に、未来へ橋渡しをしたい」と語る。特集号の部説では「今できること、今しかできないことを自分なりの方法で実行していく」と誓った。

(2025年8月11日朝刊掲載)

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