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[戦後80年] 広島昨朝原子爆弾でやられたという 織田幹雄さんと戦争 明らかに 海田の記念館 企画展 遺品など30点

 海田町出身で日本人初の五輪金メダリストとなった織田幹雄さん(1905~98年)と戦争をテーマにした企画展「陸上と戦争」が、同町の織田幹雄記念館で開かれている。戦後80年を機に織田さんの遺品を中心とする約30点を集めた。10月29日まで。(石川昌義)

 28年のアムステルダム五輪の三段跳びで金メダルに輝いた織田さんは戦時中、朝日新聞社で記者をしていた。初展示となる終戦前後の日記帳には「社に出てみると広島昨朝原子爆弾でやられたという。情報を聞いても全市全滅らしいというだけでわからぬ」(45年8月7日)との記述がある。原爆投下直後に正確な情報を知り得た記者としての一面がのぞく。

 織田さんは東京で敗戦を迎えた。同25日の日記には、低空を飛ぶ米軍機を眺めた際の心境を「米英のみならず世界の文化を吸収して早く世界のレベルに達せねばならぬ」と書き残す。多くの世界大会に出場し、戦後に日本オリンピック委員会(JOC)委員や東京五輪(64年)の陸上総監督を務めた織田さんの視野の広さをうかがわせる。

 36年のベルリン五輪に砲丸投げで出場し、広島で被爆した後に写真家になった高田静雄さん(09~63年)の遺族から借りた資料も展示する。ローマ五輪(60年)に伴う国際写真コンテストに出品した高田さんに織田さんが祝意を伝えた手紙や、フィールドに立つ織田さんの指導者としての鋭いまなざしを高田さんが捉えた写真が目を引く。

 織田さんと交流のあった戦没オリンピアンの生涯も紹介している。小谷幸子館長は「戦前から戦後の陸上界をリードし続けた織田さんの歩みと戦争の関わりを知る機会になれば」と期待する。会期中無休。無料。織田幹雄スクエア☎082(822)7373。

(2025年8月11日朝刊掲載)

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